それぞれ、配役の軽重について対世間的な見栄を張りたがる結果、相当の地位にあるもののために、特別な「出し物」を据ゑなければならず、勢ひ、興行時間の延長を来たし、脚本の選択に無理を生じ、それだけならよいが、「俳優の都合で」くだらぬ脚本を並べるといふ不体裁を犯すのである。
かういふ状態であるから、われわれは、芝居見物に半日を費さなければならず、その上、高い入場料を払つて観たくないものまで見せられ、芝居は懲り懲りだと思ふのである。
今日、自発的に切符を買つて、芝居に行くものは意外に少いだらう。その証拠に、劇場には、「連中制度」といふものがある。俳優が自分で切符の押売りをするだけでは足りないので、劇場がその手伝ひをする。連中を多く作る俳優は、巾がきくのである。現在の劇場は、この制度なしに存在し得ぬとしたならば、劇場は、芝居を観に行くところではなくて、俳優の顔を立てに行くところではないか。数字的な根拠がないから、はつきりしたことは云へないが、「連中制度」を廃した場合の歌舞伎劇は、果して、今日の地位を保ち得るかどうか。劇場当事者及び歌舞伎剣俳優の焦慮もここにあらうと思はれる。
さらに、歌舞伎劇
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