だんだんに、その呼吸が掴めて行けば、俳優は、「自分の力で役を活かす」ことができるやうになるのだ。他の役を演ずる場合に、前の舞台が知らず識らず役に立つてゐる。いつまでも素人ではゐない。演出は楽になる。いや、それよりも、俳優の個人的演技から次第に眼を放して、舞台全体に注意が向け得るのだ。その時、はじめて、演劇は、一つのオオケストラとなり、演出家の意図は完全に表出されるのだ。
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まだ云ひたいこともあるが、これは、私のノオト代りで、所謂、各種「演出法」の名称なども、臨時の名称と考へて欲しい。なほ、最後に、この四つが、常に判然と区別されてゐなければならぬといふ法はなく、いろいろな条件によつて、彼此混用することもあつていいだらう。ただ、ある演出の根本方針は、その何れかにおかれねばならず、「意志に反して」それが行はれることがあつてはならぬといふまでである。(一九三三・一)
底本:「岸田國士全集22」岩波書店
1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「劇作 第二巻第一号」
1933(昭和8)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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