B
 私は今日まで、かういふ考へ方から、「演劇の本質」について、何か自分の腑に落ちるやうな理論を編み出さうと努力したが、これはなかなか困難な事業で、嘗て、やや独断的に樹てた「心理的リズム」説の如きも、それだけではなんのことかわからぬといふ人も出て来て、実はいろいろと苦心をしてゐたのである。そこで、やつと考へついたのが、やはりこれは「演劇の伝統」といふものを、更めて「吟味」してみる必要があるといふことだつた。わかりきつたことのやうだが、「本質」は結局、「伝統」から生れるものに違ひないといふことを、少し忘れすぎてゐたのである。
 近頃また、演劇の本質は、「言葉」にある、いや、寧ろ「動作」にあるといふやうな議論が生じ、なに、「言葉」と「動作」の何れにもあるといふ助太刀が現はれ、私自身も、「言葉派」などと云はれる理由のないことを釈明したりしたこともある。
 その時の釈明は、まだ十分意を尽してゐない憾みがあつた。私は、「言葉」の中に、重要な本質が含まれてゐることを常に信じてゐたものであるが、「言葉」そのものは、単に、「要素」又は、「方法」であつて、その意味では、「動作」と何等異る地位を占めてはゐ
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