舞台装置の見すぼらしさや場面の移り変りが大目に見られるのは、この鋭い詩の力によつてであり、第一、時の法則さへ尊重されてゐれば、そんなものは眼につかない筈である。しかしまた同一理由によつて、場面はいつも同一の特長のないものであつてもよく、また舞台に全く動作が欠けてゐてもかまはないことにもなるわけである。対話によるドラマの展開と、常に感じられる時の歩みが、全世界の附随し来るべきことを十分に保証するのだ。」
「身振りはどうかといふに、これは自ら言葉に従ふものである。」
「身振りや態度に変化を与へようとする幼稚な苦心ほど、まことに演劇の言葉から遠いものはない。」
「演劇の所作は時の法則に従ひ、その真実が表現されるのは継起のうちにおいてであつて、個々の部分においてではない。」
「拙劣な演劇に於いては、窮極に於ける道徳の勝利によつて、文体の欠如が救はれてゐるといふことさへできよう。」
大分長くなつたから、これくらゐで引用は止めるが、要するに、当代の二大頭脳、ヴァレリイとアランの断言を信じるとしたならば、われわれは演劇の本質を、「舞台の制約によつて高められた生命ある幻象《イメエジ》の発展的な律動」
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