これは、意外だと思ふ人があるかもしれぬが、恐らく、舞台生活の裏には、下町文化的儀礼と趣味が浸潤してゐるのであらう。
 僕は常に知人の中の相当年配の人達に会ひ、又は新聞に出る某々名士の写真などを見ながら思ふことであるが、日本の舞台にも、かういふ「柄」の役者が続々現はれるやうになつたら、それだけでも芝居がぐつと面白くなり、人生の姿がその幅と、深さと、真実の味を以てわれわれに迫るであらうと。早く云へば、現代演劇の魅力は、先づ、俳優の「柄」からといふ結論がひき出せさうなのである。
 現代的な意味に於て何かしら溌剌としたところがない以上、俳優は、舞台の上から、「現代劇」の名に於て見物に呼びかけることはできないのである。考へがここまで来ると、現代に於ける演劇革新の運動も、前途尚ほ遼遠の感がある。
 舞台を志す青年子女が、宿命的に負はされた因襲の衣が、遂に、現代のわが劇壇を萎縮させてゐるのだとすれば、僕などの描く夢は、文字通り一片の夢想にすぎぬであらう。(一九三四・九)



底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   193
前へ 次へ
全19ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング