を痛切に感じだしてゐる。時局におもねる演《だ》し物を軽々しくやらぬのも、その心掛けのゆゑであらう。
以上のことは、日本の新劇の歴史を顧みてまことに感慨に堪へないひとつの結果を意味するのである。つまり、日本の新劇が、その本来の使命を自覚し、衒学とスノビズムから脱却して、真の現代劇の樹立に邁進するために、過去三十年の彷徨を余儀なくさせられたのである。この間に、新劇は「芝居の愛好者」を徐々に劇場から遠ざけた。
西洋の新劇運動は、概ね新理論に基く演劇の革命を目指してゐる。日本では、その前に、演劇の風俗的現代化が必要だつたのである。新劇俳優の技術が上達するにつれて新派に接近するとは今日もなほいはれてゐることであるが、これはいふまでもなく、風俗の現代化が新劇に於てすら等閑視されてゐた証拠なのである。
新劇の忠実、且つ素朴な観客はそれゆゑに、翻訳的な科白《せりふ》をより新劇的なりと思ひ込んでゐる。罪は何れにもあるのである。
私は、嘗ての新劇愛好者を信用しない。寧ろ、現在の新劇が偶然に惹き寄せた観客にある期待をかける。即ち、こゝしばらく、新劇はこの観客の多数と共に成長し、進化し、変貌しなければならぬ。なぜなら、これらの観客は少くとも、この時代に於て、自分の眼をもつて物を見、自分の感覚で真実を嗅ぎ分ける能力をもつてゐる人たちだと思ふからである。
現在の新劇は、明日の近代古典となるのが唯一の正しい目標であると、私は固く信じる。明日の新劇は、われ/\の巣から飛び立つ若い頼もしい反逆児でなければならぬ。この宿命の潔《いさぎよ》い担ひ手を私は、すでに私の周囲に発見して、自分の仕事の力強い支へとしてゐるのである。
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「東京朝日新聞」
1939(昭和14)年4月17〜19日
初出:「東京朝日新聞」
1939(昭和14)年4月17〜19日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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