的ならざるものとの分離が企てられねばならぬ。文学として、小説と共通なものさへ、試みに除外してみてもよいのである。
仮に、そこまでは行かなくても、活字を通して、耳と眼に愬へる幻象《イメエジ》の文学は、観念の深化とリズムの調整に、ある「限度《リミット》」を発見しなければならぬ。この「限度」即ち「制約」が、戯曲美構成のルツボであり、劇文学独自の領域であることを、その作品に於て示さねばならぬ。無用な謙遜を抜くとしたら、私は、この野心を、自分の戯曲創作に於ける唯一の楽しみとするものである。
「現代俳優」のゐない国に生れ、不幸にして現代戯曲の創作を志すものにとつて、これ以外の楽しみがあらうとは思へぬ。
新しいドラマツルギイ
一見デカダン的とも考へられさうなこの傾向が、現在わが国のやうな「演劇的雰囲気」の中からは、当然生じ得るものであることを、先づ、批評家諸氏に注意していただきたい。
それと同時に、将来、才能ある青年の手によつて、「純粋戯曲」とも呼ばるべき作品或はこれに近き傾向の戯曲が発表された場合、その価値批判が誤まられないことは、日本文学の進化の上に、甚だ望ましいことであつて、そのためには、今日一般に行はれてゐるやうな、「小説本位」の批評、或は、「既成ドラマツルギイ」による戯曲性の討究は、害あつて益なきものであることを、私は痛切に感じてゐる。
それならば、その「純粋戯曲」乃至それに近いものは、これまでの戯曲に求め得られなかつた「美」の創造を目指してゐるのか、何か新しい「美」の本質を含んでゐるのかといふ疑問に対して、私は、必ずしもさうでない[#「必ずしもさうでない」に傍点]と答へる。
なぜなら、古今の傑作戯曲と称せられるものが、戯曲として[#「戯曲として」に傍点]、後世の模範となり得ることに変りはないからである。ただ、それらの傑作が、傑作たる所以を、殊に、それが戯曲として、本質的に「劇的魅力」を発揮する所以を、今日の眼で、新しく見直す必要があるとは云へるのである。そして、その「魅力」は、必ずしも、従来の批評家が指摘したやうな、単なる「文学的」乃至「演劇的」魅力ではなく、もつと独自な、「傑れた戯曲にのみ含まれる生命」――内容を生かし、形式を活かすところの、かの「韻律的なもの[#「韻律的なもの」に傍点]」であることを覚らねばならぬ。
世に定評ありと信じられるかのチエホフの戯曲は、今日まで、わが国に於て、真に、戯曲として、その本質的な「美」が問題とされたであらうか? その戯曲の魅力は、恐らく、翻訳を通してさへも、ある程度まで「感じられ」たであらう。しかし、それは、単なる「文学的」な感じ方であるか、或は、「演劇的」に、漠然とした「生命感」の享け入れに止まつてゐるやうに思ふ。
シェイクスピイヤ、イプセン、マアテルランク、みな然りである。
そして、演劇を論ずるものは、戯曲の生命を、かの「意志争闘」説、「危機」説等に結びつけ、「筋」の定型的発展に拘泥し、幕が切れてゐるとかゐないとか、解決があるとかないとか、独白は古いとか新しいとか、人物の出し入れがうまいとかまづいとか、これは小劇場向きだとか、いや大劇場向きだとか、子供が死にさうだのにすぐに医者を呼びに行かん法はないとか、さういふことばかりを問題にしてゐたのである。
さういふ論議も、ある時代には、それ相当の意味があるであらう。だが、今日のやうな演劇の行き詰つた時代に、露天に万の群集を集めた希臘悲劇の形式原理を振り翳し、「通俗物語の定跡」として知れ渡つた「興味のつなぎ方」を、戯曲美の本質と混同して、原始批評の幼稚さを訂正し得ないといふことは、誠に遺憾である。
歴史は、既に、作品として、これに対する反逆を物語つてゐながら、理論家は、何故に、その精神を汲み取らなかつたか?
自然主義時代に於ける、「生活の断片」説は、演劇論的に、未だ本質を衝いてゐず、求めんとするものは、偏狭な趣味であつたけれど、実は過去のドラマツルギイに対する厳然たる抗議を含んでゐた筈だ。
近年に於ける「演劇の再演劇化」の運動は、一方、この抗議を聊か緩めたかの観があり、舞台は、再び、浪漫的色彩の勝利に傾いて、そこからも、旧来のドラマツルギイが、時を得顔に頭をもたげて来た。
しかしながら、真の「舞台的」魅力は、所謂写実主義の理論からも、所謂「浪漫主義的」声明からも生れては来ないのである。
「生活の断片」説を唱へたジャン・ジュリアンが、いみじくも、そして、偶然に喝破した「生命による動き」なる一言は実は、古くして新しい「舞台の脈搏」を指すものであり、戯曲にナチュラリズムなる一派を開いたブウェリエの所謂「魂のリズム」なる標語は、これまた期せずして、古今の戯曲家がその才能に応じて、それぞれの作品を生かした本質的生命を指すものに相違ない。
かくの如く、演劇の本質は「動きによる生命」にありとし、主として「視官」に愬へる要素を戯曲形式の基礎と考へた在来の「ドラマツルギイ」に対し、一種の新しいドラマツルギイが、既に、多くの近代作家の頭脳を支配してゐたのだと思ふ。ただ、彼等が属する「文学的流派」の消長によつて、各々の宣言は、劇文学の一貫した理論を形づくるに至らなかつたまでである。
その最も著しい例は、「演劇の革新は、先づ文体より始めざるべからず」と主張したヴィクトル・ユゴオの、何かしら解つたやうな、それでゐて遂に目標を見失つた、かの有名な「クロンウエル」の序文にこれを発見することができる。彼は、疑ひもなく、その戯曲に「浪漫主義的リズム」を盛ることで、その特色をはつきりさせようと企てたのだ。そして、そのリズムは、遂に、「詩のリズム」から出てゐないところに、彼の戯曲家としての失敗がひそんでゐたのである。言葉の幻影が、彼をして「観念の抑揚」に対し鈍感ならしめたと云つて誤りはないのである。
要するに、今日の戯曲不毛は、日本の劇文壇に於ける、「新しいドラマツルギイ」の未だ確立されないところに、一つの原因があると思ふ。
作品は常に理論に先立つといふことに異論はないが、わが国の現状からみれば、戯曲が「演ぜらるべく」書かれるといふ望みを捨てなければならぬ以上、これを文学として、完全に独立した一形式にまで発達させる必要から、私は、幾分重複を顧みず、纏りのない私見を述べて、何等かの手応へを待ち望んでゐるのである。
本質的戯曲は、要するに、一定の時間で、即ち、その戯曲の要求する速度に従ひ、耳と眼に愬へる一切の幻象《イメエジ》を追ひつつ、そこから、観念の多元的な抑揚を捉へ、心理的に調和と統一ある韻律美を感じ得るやうに「読まれ」ねばならぬことになるのである。かういふ努力を誰にでも強ひるわけには行かぬが、この努力なしに、如何なる戯曲をも「理解し」得たとは云へぬのであつて、戯曲文学は、ここではじめて、劇場を離れて、一個のジャンルとしての分野を占有し得るわけである。
繰り返すやうであるが、古今の名戯曲と称せられるものは、この本質によつて、特殊な魅力を放ち、不朽の生命を保つてゐることを私は信じ、せめて、今日のわが戯曲壇が、戯曲の「文学性」と「演劇性」なる不徹底な論議に日を過さず、文壇と劇壇の両道を右顧左眄することなく、一途に、戯曲精神の文学的発見に向つて進むことを希望する次第である。そして、これが必ず、日本の劇壇を蘇生せしめる最上の力となることを私は信じてゐる。(一九三四・四)
底本:「岸田國士全集22」岩波書店
1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「文芸 第二巻第四号」
1934(昭和9)年4月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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