「のですから、脚本の演出は、或る程度以下のものであることは許されない。つまり、さういふ演出は、演出と称し得べからざるものであると認めなければならないのです。
 これで、脚本の価値が、演劇の価値を根本的に左右するといふ理由が、判然したらうと思ひます。
 脚本の価値が、演出を離れて存在し得るに反し、演出の価値は、脚本を離れて存在し得ない。これは、近代演劇運動の決定的な発見であります。
 希臘劇、シェクスピイヤ時代の演劇、中世の秘蹟劇、……これら過去の演劇は、今日何によつて、その光輝と偉大さとを知るかと云へば、たゞその時代の脚本、即ち戯曲を通してこれを知るのみであります。その演出が、果して、その時代の演劇に於て、どれだけの位置を占めてゐたかは、殆ど知る術がない。従つてわれわれは、その時代の演劇が、どれだけ演劇としての芸術的な価値を有つてゐたかを云々するにしても、その演出が戯曲の生命を完全に伝へ得たものとしての想像に過ぎないのです。
 それならば、将来の演劇はどうか。これは、誰も何んとも云ふことは出来ません。ゴーヅン・クレイグの理想が実現するまで待たなくてはなりません。しかし、今日、最も新しい
前へ 次へ
全100ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング