辷齦燗・み出して、文学なり、美術なり、音楽なりは、それ自身として演劇の一要素であることはできない――文学的な部分、美術的な部分、音楽的な部分、さういふ分析的な見方を許さない一個の独立的存在でなければならない――かういふ名義論に過ぎないのであります。
 文学史的に観れば、浪漫主義より写実主義へ、写実主義より象徴主義へ、これが、近代文芸の進化の大勢であります。言ひ換へれば、想像と誇張より観察と解剖へ、更に綜合と暗示へ――であります。
 而も、或る時代の反動的気運――その気運から生れた過激にして単調な戦闘芸術を除いては、常に前の時代は次の時代に好ましい影響を与へ、漸次美の内容を豊富にしてゐることを忘れてはなりません。
 今、舞台表現の進化を論ずるに当つて、少くともそれだけの前置きをしてかゝる必要があります。
 浪漫主義の戯曲は勢ひ浪漫的演出を要求し、写実的戯曲は写実的演出を要求することは自明の理であります。
 たゞこゝで考へなければならないのは、演劇の本質から云つて、如何なる場合にも、舞台に「活きた人間」を現はさうとする努力、舞台に「真《まこと》らしさ」を与へようとする工夫は、絶えず行はれて
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