鴻tェソルは、近眼鏡を曇らせながら、舞台意匠の下図に見入つてゐました。そして、俳優が、詩劇の台詞を一句飛ばしてゐるのも知らずに、衣裳の襞に、臀の角度に、椅子の置き方に、あれこれと細かい注意を与へました。
 近代の舞台革命は、かくて、演劇から言葉の位置を奪はうとしました。
 ヘル・プロフェソルは眼鏡を拭いて外に出ました。そこには活動写真の看板が、時を得顔に突つ立つてゐました。

       劇場について

 近代の劇場が最も恐るべき経営上の敵と見做してゐるのは活動写真であります。これは、芸術としての演劇に、極めて痛切な教訓を垂れたと同時に、娯楽本位の演劇に、少なからぬ打撃を与へたのであります。興行主乃至劇場主は、少し眼の覚め方が遅かつたのです。彼等は演劇の本領について、勿論確乎たる自覚をもつてゐない。活動写真が何故に劇場の観客を吸収しつゝあるか、そのことについて殆ど明瞭な判断さへ下すことができないのであります。
 徒らに見物の劣情を挑発し、低級な趣味に媚びることを以て唯一の対策としてゐる。作者、俳優はその頤使にあまんじて、益々演劇の堕落を助けてゐる。
 演劇革新者を以て自任する舞台芸術
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