件を具へることは困難だといふことである。官尊民卑の弊風にその原因を帰することは容易であるが、これを是正する方策は演劇運動の線とは凡て離れたところに存在するやうである。
国民の気風が改まるのを待つ意志と、日本の新文化建設途上に於けるアカデミズムの功績を認める寛容さとを、同時に示すことは決して矛盾しないと信ずるから、私は、寧ろ、かの美術と音楽に対して与へた明治政府のインテレストを、演劇映画の部門に於て、遅まきながら今日、昭和非常時の統制気運のなかにみることを切望するものである。
こゝで、はしなくも思ひ起すのであるが、かのナポレオンは、モスクワ遠征の陣中に於て、有名な「国立劇場条令」なるものを起草せしめたといふ記録である。乱にゐて治を忘れない文化魂は、西欧武人政治家の嗜みとして、甚だ興味ある話題だと信ずるが、わが日本の歴史にも、これに似た例を残すのは、後世、民族的誇りの一つを加へることになるかも知れないのである。
三
それはともかく、演劇、殊に映画の時代的役割を考へたら、流行風に云つても、文明国の面目上、官公立のアカデミイひとつないといふ法はないではないか。早稲田大学関係者は、早くも国立劇場の建設を提唱してゐるが、これは、順序として少し待つて欲しい。中身のない国立劇場は可笑しいのである。能や歌舞伎を保護するといふ名目は、日本文化宣揚を口癖にする保守的愛国者の気に入るだけである。現代はなによりも国民の精神的怠惰と戦はねばならぬ。祖先の遺産に恋々たるよりも、民族の創造的努力を鼓舞することによつて、世界の知的水準を抜く野心こそ青年日本の意気でなければならぬ、国立劇場は古典劇場の別名ではない筈である。
過剰な国粋主義こそは、新興芸術の敵なのである。この一点で、私は、国立劇場即時建設案の賛否を保留する。そして、この案の提唱者も恐らくは合流するであらうところの、国立(或は官公立)演劇映画専門学校の創設案を、先決的に考究せられんことを当局に希望する次第である。
そして、私が、かゝる潜議な提議を、特に本紙を通じてなす所以は、本紙の読者諸氏を以て、最も有力かつ誠実なる支持者と見做す理由があるからである。
底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「帝国大学新聞」
1936(昭和11)年11月2日
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