描くことが禁止され、劇場建築に大さの制限が設けられる等、禁令禁止相次ぐ有様で、それにつれて、俳優の或は追放に処せられ、或は住居を取毀され、或は手鎖をはめられ、殊に罰金の刑に科せられるものなど、殆ど寧日なきほどであつた。
従つて、歌舞伎は良家の子女の足を踏入れるところではないといふ通念ができ、裏面に於ては、貴族も武士も常に劇場に出入し、俳優と交際してゐるものもあつたが、公にはこれは赦すべからざることであつた。紀州侯の令嬢がある日芝居小屋をちよつとのぞいたといふ事実が発覚し、令嬢は国許へ幽閉、供の侍は切腹仰せ付けられるといふ騒ぎまで持ち上つたのである。
要するに、徳川幕府が演劇興行を取締るため発した法令は、結局、奢侈及び淫靡なる風潮が社会に及ぼす影響を考慮したものであり、その主旨たるや当然、首肯し得るのであるが、更に具体的にそれらの禁令の実施された結果をみると、今日の歌舞伎劇の不自然な特色は、多くは、そこに由来することが明かになるのである。
第一に、俳優が一般社会と全く遊離した生活を営まざるを得なかつたこと、従つて、それだけ変態的な生活感情及び風習を身につけてしまつたこと。
第二に、俳優は下賤なる職業なりとの印象を強く世間に与へたこと。いはゆる「河原乞食」または「河原者」として社会より蔑視されるやうに仕向けたとさへ云へるのである。これは同時に、日本演劇の品位を下落せしめ、低俗な娯楽物の域に止まらせたことにもなる。
第三に、演劇が本来もつ歴史及び時事に関する啓蒙の役割をまつたく放棄し、徒らに事件の興味を追ふ筋本位のものとなつたこと。即ち、現在の人名を使用することを禁じたのはまだよいとして、歴史的意義をもつ社会の出来事を絶対に脚色させなかつたことは、例へば赤穂義士の事件を足利時代としたり、家康を北条時政としたりして、民衆がある程度これを推知するに委せはしたが、勢ひ実感に訴へる力が弱められ、演劇はそれだけ架空の物語といふ印象を与へるに過ぎないやうになつた。
階級制度が社会秩序を維持した時代とは云へ、国民の大多数たる庶民階級の好尚が、かかる政治の下に如何に方向づけられ、如何に伸び育つであらう。幸にしてわが民族の恵まれたる資質は、如何なる条件の下に於ても、営々として美の創造を怠らず、今日、世界演劇を通じて最も驚異とするに足る舞台の一形式を完成したのであるが、かかる形式の演劇が徳川幕府の政治――延いては、その時代の社会的事情を背景として生れたのだといふことを考へれば、明治維新を経て昭和の現代に至るまで、その政治的革新も、社会的進化も、歌舞伎劇に対しては微々たる作用を及ぼしたに過ぎぬといふことになる。民衆の生活に深く根をおろしたものの、遂に抜きがたき力となることかくの如くである。幕府政治は滅んだ。しかし、「政治」の性格が民衆に示す相貌は、みんなが思ふほど変つてゐないところにも、歌舞伎劇の生命があるのかも知れぬが、それよりも、私は、やはり歌舞伎劇の力と美が、われわれの祖先の長日月に亙り、求め、創り、磨き、そしてわれわれの時代に伝へたものだといふことに、誇りと親しみと感動とを覚えるものである。
三 近代国家と演劇政策
芸術家が一般に芸術の目的と使命とを自覚し、意識的に「高い芸術」の創造を目指しはじめたのは、いはゆる文芸復興からであり、国家も亦、政策として、芸術諸部門の健全な育成を心掛けるに至つたのはいづれも近代国家形成以後と見てよからう。従つて、芸術家の自覚と、国家の配慮とは、緊密な関係をもつものと考へられる。
フランス十七世紀の例をとつてみても、ルイ十四世の国家統一と国威発揚に伴ふ賢明な文化政策の裏面には、宰相リシュリュウの学識と烱眼があつたことは勿論であるが、特に演劇方面に於ける黄金時代の現出には、王自身の趣味によるほか、批評家ボアロオを中心とする劇詩人の真摯な古典主義運動が、演劇の品位と同化力を著しく高め、かつ、王をして何をなし、何をなすべからざるかをはつきり認識せしめ得たことが、大に与つて力あるのである。
しかしながら、ルイ十四世の治下に於ては、まだフランス古典劇は十分に「国民全体」のものになつてはゐなかつた。国立劇場はまだ王室劇場の実質を脱してゐず、年金を与へられてゐる劇作家も亦、庶民のために書くといふよりは、寧ろ宮廷人士を観客として予想したのではないかと思はれる。モリエールの言葉として、「余は[#ここから横組み]“〔honne^tes〕 hommes”[#ここで横組み終わり]のために喜劇を作る」といふ意味の宣言が伝へられてゐるが、〔honne^tes〕 hommes とは、この時代に於て正確に何を指してゐるか私にはわからぬながら、およそ、「素姓正しき人々」のことを云つてゐるらしい。「身分高き人々」ではない
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