に特効ある虫よけ香錠……。
底野 そいつは、質屋の方へ持つてつといてくれ。
男 最後に、卸値段の精選脱脂綿、薬局でお求めになるより四割方お徳用……。
底野 折角だが、女が一人もゐないんでね。
男 (荷物を片づけ)どうもお邪魔いたしました。またどうぞ、御用の節は……。
底野 寝たまゝ失敬。(さう云つて、また雑誌を読み続ける)
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やがて、また、今度は勝手口から、若い女の声で『御免下さい、御免なさいまし』
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底野 (元気よく起き上り)おはひんなさい。どなた?
女の声 あたしよ。
底野 あたしつて誰だい。あたしぢや多勢ゐてわからねえや。まあ、どのあたしでもいゝからおあがりよ。
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若い下町風の娘がはひつてくる。前の下宿の娘こよ(十九)である。
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こよ (軽く手をついて)こんちは……今日はお一人?
底野 一人だつていゝぢやないか。奇麗になつたね。
こよ 奇麗になつたつていゝぢやないの。
底野 それや無論、悪いた云はないさ。どうだい、家は相変らずかい。
こよ えゝ。あんたんとこは?(あたりを見廻し)この前より落ちついて来たわね。
底野 (これもその辺を見廻し)どの辺が? 板津や神谷はまだゐるかい。
こよ えゝ、神谷さんは、この春奥さんを貰ふんですつて。今、家を探してるわ。
底野 板津は、やつぱり下宿代を溜めてるかい。
こよ ふゝん、どうだか……。人のことなんかなんだつていゝから、あんた、どうかしなさいよ。あたし、いやだわ、こんなこと、しよつちゆう云ひに来るの。母さん、怒つてゝよ。それや嘘だけど、ほんとに少しづゝでもいゝからつて云つてるわよ。家から来るんでせう。
底野 二十円づゝ来るには来るよ。そのうちをどうかしろつていふのかい。虫がよすぎるぜ。
こよ あら、そつちこそだわ。二十円がさ、こんな風にしてゝ何にかゝるの。
底野 おい、失敬なこと云ふない。斬髪だつてチツプを含めれや一円はかゝるぜ。
こよ その頭、何時刈つたのさ。
底野 忘れるくらゐ度々刈つてらあ。時に片岡千恵蔵は見に行くかい。
こよ えゝ、ついこなひだ、あれ見たわ、なんだつけ……。
底野
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