もしだしてゐるのである。
軍人から見た所謂「地方人」が異様につかみどころのない姿をしてゐることが稀でない如く、他の社会からみた「軍人」がなんとなく近づき難い観のあるのは、まさに、双方の「性格」の表面的相違をあまりに深刻に考へすぎるところにあるのである。
云ふまでもなく、社会の各部門はそれぞれの使命と職能に応じて、ある点では、ある程度まで、その性格の特色を発揮するのが自然であり、そして、それによつて、人間生活の興味ある多様性が生れるのであるけれども、その間にもつと共通の、理解し易い、互に認容し得るところの面を多分にもち合つてゐることが、文明の常態であり、理想なのであつて、ひとり、軍人と軍人ならざるものとの間ばかりでなく、官僚と民衆の間においてはもとより、現在、わが国の各社会層の間に、およそ人間と人間との接触協調に必要な基礎条件たる、「風俗の共通」を欠いてゐることを、こゝで、はつきり肯定しなければならぬ。
一つの例として、議会に於ける議員の質問振りをみよう。若し当面の政府委員が仮に軍人である場合、その質問の内容や動機はともかく、言葉の調子とか、ヂエスチユアとか、時には、その演説に対する同僚議員の反応とかいふものが、如何に屡々軍人には「苦々しい」印象を与へるものであるか、これは私の想像であるが、ひとつ腹を割つて訊いてみたいものだと思ふ。
人間心理の機微はしかし、さういふところにもあるのだといふことを、誰も考へてゐないであらうか。しかも、政治は、その人間心理と離れて存在するものでは断じてないのである。
今更そんなことを論議してみてもはじまらぬといふものがあれば、私は、敢てこの機会に、こんなことを論議しなければならぬ理由を明かにしよう。
それは、即ち、待望の新政治体制、並びに国民再組織の本質的な精神につながる課題だからである。
こゝで私が先づ軍部に希望したいことは、軍部が抱懐する理想は、国民全体を少くとも今日に於ては、名実ともに「武人化」することにあるかも知れぬが、それはまあ理想であつて、そこまでは望まぬといふことをはつきり宣言し、その代り、新しい国民教育の参考として、将校生徒訓育の系統的理論と実際とを差障りのない限り自発的に公開してはどうかといふことである。
これは一方、社会各層の軍人に対する認識を深め、心ある青年の奮起を促し、軍人自身にとつても、なんらか得
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング