、彼岸の光明に達するには、国民全体の疑心なき協力を必要とすることがよく理解されてゐる筈だからである。
「正しいことをするのに張合のある制度」(安井内相の言葉)はむろん望ましい。それと同時に、真に国を愛し、真に国のためになる人物を徒らに眠らせておかぬ制度が更にこの際われわれとしては望ましいのである。
 今日までにも、政府当局によつてさういふ意図だけは示されたことがある。民間の専門家をいろいろな名目で各種の事業部門に参加させてゐるやうであるけれども、これは概して、一種の諮問機関にすぎず、本来責任を与へられてゐないから、これに時間と労力とを割く限度があり、事を行ふ真の情勢は机上より机上へと薄れ去つて行くのだから、結局、力の入れやうがなく、せいぜい形式的な意見具申に終るのではないかと思ふ。たとへ、さういふ人々から理想的な具体案が提出されたところで、実現の可能性は行政的な範囲に止まり、寧ろ根本に遡つての政治的な企画などゝいふものは、全く問題にされやうがないのである。なぜなら、専門的な立場からの最も重要な課題は、決して事務的処理によつて解決されるものではなく、云はゞ、国策の一つとして今日ならば先づ閣議の決定をみねばならず、一専門委員会の画期的な答申案が、所管大臣を通じて有効に提示され、果して他の閣僚を承服せしめるかどうかは、多大の疑問の存するところである。そこで、今度の文部大臣が専門の科学者であるところから、科学の分野に於ては十分の説得能力をもつてゐるであらうことをわれわれは信じ、その声明にも期せずして千鈞の重みが加つてゐるわけである。
 ところが、同じ文化部門でも、文学芸術の領域に於てはどうであらうか? 伝ふるところによれば、新文相は哲学に於ても一家をなすとのことである。わが国の文教が「哲学的に」考察され、支配され、再建される希望が、今日はじめて「降つて湧いた」といふことは、国民にとつて、何といふ仕合せであらう。
 哲学的政治のみが、文学芸術を、他のあらゆる社会機構のなかに於て、その占むべき地位を正当に指し示し得るのである。哲学的政治のみが、国家の活力と品位とを最も有機的に結びつけ、民族の真の理想をその行動のうちにひそめ、祖国への愛情と献身とを進んで国民に誓はしめるものである。

       五

 国民の一人として、私は、なほ軍官民の各部にこの時局下の相互関係について希望
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