一つの試案
――「列」解消のために
岸田國士
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一
先ごろから、魚屋、八百屋、菓子屋などの店先き、多くの主婦たちが一列に並んで順の来るのを待つてゐる買物風景は、どこへ行つても見ないといふわけにはゆかない。
日本は、まだまだ食ふに困らないだけのものは持つてゐる。みんなが、ちよつと不自由を忍ぶならば、一時間も二時間も並んで待つまでもなく、日常に食ふだけのものは間に合ふ筈である。もちろん、思ふとほりのものが、思ふぞんぶんに食べられるといふことはない。しかし、すべての人が同じやうに不自由を忍んで行かうとすれば、けつして食ふに困るといふことはないはずである。
なるほど物資の不足は、相当われわれの生活を不自由にするほどになつてゐる。しかし、それはものがないのではなく、ただ、それが一時、国民のすべてに行渡らないといふやうなことで、部分的に相当不自由を感じてゐるのであつて、その点さへうまくゆけば、けつして忍べないほどの不自由ではない。
たゞ恐ろしいのは、あるものをないと思ひこむこと、ないのではないかと疑うことで、そういふ気持が働いて買物に列をつくることにもなるが、これが人心の不安となつて拡がつたならば、その結果はまことに憂ふべきものである。
買物に列をつくるのを止めようといつても、誰かゞひとより先によいものをとらうとしたり、誰かゞ、自分だけ不自由な思ひを少くしようとする気持があれば、列を作ることは止まない。列を作ることを止めるのには、物が円滑に行渡るといふことといつしよにみんなが、自分だけ少しでも不自由を避けやうとする、自分本位の考へ方を止めなければならない。それとともに、また一方には、列をつくらないでも間に合ふやうな、やり方を考へてゆくことが必要である。
二
ある小さな八百屋の経験によると、店に二十貫の品物がはいつた日には列をつくるといふことがないが、十九貫しかはいらない日には列をつくるといふ。その開きはほんの僅かであるが、その日の入荷が、そのほんの僅かでも多いといふ感じが、人の気持に与へるものは非常にちがふ。誰もが不自由を忍んでゐるときに、その忍んでゐる不自由の程度から、ほんの僅
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