る亭主つていふものは、あつてもなくつてもおんなじわけだと思つてるんだらう。
とま子  おんなじなもんですか。ない方がましだと思つてるわ。
卯一郎  さうか。二万六千円の貯金は別としてね。だが、おれが死んでも、そいつはお前の手にはひらないよ。子供がないからだ。そいつは知らなかつたね。どうだ。法律つていふもんはうまく出来てる。子供を生まない細君は、亭主の財産を相続する権利がないんだよ。遺言でも書いとかない限り、おれの身代はそのまゝ、残らず唯一人の従弟《いとこ》今田茂七の手にころがり込むんだ。お前は絶対に子供を生まんといふ、そんな厄介なものは欲しくないといふ。おれの切《せつ》なる願ひにも拘らず、四年間、頑張り通した。今だから教へてやるが、おれの夫《をつと》としての心遣ひは、さういふところまで見越してゐたんだ。さあ、なんとか返事をしろ。
とま子  あたしを見違へないで頂戴。二万や三万のお金がどうだつていふの。そんなもの、欲しい人にやればいゝわ。あたしはまだ若いのよ。
卯一郎  さあ、二十八で若いかどうか、いろいろ意見もあるだらう。仮に若いとして、それがどうなんだ。四十六のおれと釣合がとれんとでも云ふのか。今になつて、そんなことを云ふなよ。(寝台から降り部屋の中を歩く)おれだけが二つづつ年を取つてくわけぢやない。今まで、一緒に外を歩いて、笑ふやつが一人でもゐたか。
とま子  父娘《おやこ》だと思ふから笑はないのよ。
卯一郎  さうかも知れん。さう思ふやつにはさう思はせておけ。事実は雄弁だ。この通り、おれは、一個の夫として、妻たるお前の利害を論じてゐるんだ。悪いこと云はないから、もう起きろ。起きて晩飯の支度でもしろ。どうも、足がふらふらする。今朝から何も腹へいれてないせゐだ。あゝ、物を云ふと、眼が眩《くら》むぜ。(寝台に腰をおろす)人間のからだといふのは微妙なもんだ。精がない時は、寝転ぶやうに出来てる。(また寝台にもぐり込む)これがあべこべだつたら不都合に違ひない。
とま子  用がない時は静かにしてて頂戴。お夕飯は六時ときまつてるでせう。
卯一郎  きめたのはおれだ。ぢや、昼食を食はせろ。
とま子  お昼はとつくに済みましたよ。あなたが勝手にあがらなかつたんぢやありませんか。
卯一郎  だから、今食ふと云つてる。
とま子  時間以外の食事は厳禁といふきまりぢやなかつたんですか。
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