です。子供は駄目でした。怒りましてね、親が……。二時間待つたといふんです。ところで、私に云はせると、二時間前に、もう、絶望状態であつたことは確かなんです。早く行つても間に合はなかつたわけです。手おくれは親の罪で、私の罪ではない。しかし、そこはデリケートなところで、もう一つ、こんな例があります。私が診《み》てゐた女の患者ですが、もう六十五といふ年です。赤痢の疑ひで、たうとう菌がでないうちに、衰弱してしまひましてね。もう見込がない。そこで、無駄と知りながら、最後の食塩注射をして、身寄のものを呼ぶなら呼べと云つて帰りましたが、それがどうです。翌日からめきめきよくなつて、今でもぴんぴんしてます。
卯一郎 さういふのは、どういふんでせう。
津幡 寿命といふんでせう。その二つの実例から、私は、医者といふ商売がいやになりました。どんな病人でも、自分が責任を持つ以上、昼夜附きつきりでなければ、完全な治療を尽すといふわけに行かないんですからな。いつ時でも人|委《まか》せには出来ない。肺病なんかだと、二年間は、その患者と寝起きを倶にする必要がある――といふのが私の意見です。そんなことが出来ますか。
卯一郎 出来ませんな。
津幡 出来ないなら、おんなじことです。医者といふのは名だけです。病人の気やすめです。そのことで、面白い話があるんです。
卯一郎 ちよつと、失礼ですが、隣りの部屋に家内もやすんでゐるんですが、さつきから頭痛がするとか寒気《さむけ》がするとか云つてるやうです。ひとつ、お序《ついで》にどうか……。
津幡 あ、こちらですか。(隣室にはひり、とま子の寝てゐる傍に坐る)気分が悪《わる》いですか。
とま子 はあ、とても……。
津幡 (脈をみながら)嘔気《はきけ》なんかは……?
とま子 はあ、少し……。
津幡 ありますね。頭痛は、この辺ですか。
とま子 えゝ、そこと、この辺もずつと……。
津幡 ほかに変りはありませんね、舌を出してみて下さい。はい、結構。(聴診器をあてる)大きく呼吸《いき》をして……。よろしい。さうですね、たしかに何処か悪いやうです。しかし、私にも何処といふことははつきり云へません。ことによると、このまゝ直つてしまふかも知れません。お腹《なか》が空《す》いたら、何でも上つてみてごらんなさい。御主人も同様です。(卯一郎の方へ帰つて来て)さう、面白
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