ベエル、味よりも連想がなつかしい。

 かういふ家に住みたいなあと思つたことがそれでも二三度はある。
 勿論ヴエルサイユ宮殿では廊下だけでも広すぎるし……まあ馬鹿なことを云ふのはよさう。建築は……そんなことはあんまり考へない。たゞ、書斎と寝室はコンフオルタブルなものが欲しい。
 若し食堂があるなら、古風な家具で飾りたい。頑丈なシユミネと、塗りのいゝピヤノがあれば、別に客間はいらない。
 などゝ、これくらゐの註文さへ、現在では夢想に近いと思はれるが、近頃末弟が麻布辺の古物店から見附けて来たといふ極めてエキゾチツクな廻転椅子のみは、甚だ取つて附けの感はあるが、僕の書斎をやゝ月並と単調から救つてゐる。
 冬の部屋に籐椅子の見すぼらしさもさることながら、シングルベツトにデタラメ縞の掛蒲団かけたる、何の趣味やらわからずとわれながら思ふこともある。まして、安物の瀬戸火鉢に、これまた瀬戸びきの金盥をかけ、湯気が立てばそれでシヨフアージユ・サントラル。
 郊外の借家もいゝが、隣近所の鶏は五月蠅いものゝ一つである。片足あげてシツと追へば、聞えよがしに啼き喚く面憎さ。
「随分探しました」といふ挨拶も笑つて受け流す修業が必要である。玄関の格子を締め悩む客の姿が――それよりもその客を見送る人の姿が淋しい。
 霜解けの庭に生死のほどもわからぬ桜が二三本……。
 皿を洗ふ音。



底本:「岸田國士全集20」岩波書店
   1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「言葉言葉言葉」改造社
   1926(大正15)年6月20日発行
初出:「文芸春秋 第四年第三号」
   1926(大正15)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング