。
中には、「顔は花の如く、声は雲雀の如き」美人の姿に化けて、川の岸に蹲り、旅人が橋を探してゐると、
「あたしがおぶつて渡してあげます」
と優しい眼付をして見せる。
「済まないなあ、ねえさん」などゝ、好い気になつて背中に跨らうものなら、川の中へどぶり。
この「ねえさん」名をパオトル・ペン・エル・ロオと呼ぶ。
カルナックからケルゴレックに通ずる国道は、今でも変なことがある。「森の泉」と称する小川の附近には、パオトル・フェタン・ゴエといふ化物がゐて、或は人の姿、或は猫の姿、或は馬の姿、時によると火の玉になつて現はれる。
或る晩、一人の農夫が通りかゝると、へんな男が後からついて来る気配がする。さうかと思ふと、今度は、自分の前に男が歩いてゐる足音がする。こいつは変だと思つてゐると、後の男が近づいて来て、「お前は祈りの文句を知つてゐるか」と尋ねる。「知つてゐる」と答へると、「そんならよし、さもなけれや、お前は恐ろしいものが眼に見える筈だ」と云つた。
その後、また二人の青年が、その辺を通りかゝると、一方の青年が、何ものかに投げ倒された。どこも痛くはなかつた。
ある農夫は、一匹の放れ馬が走つて来るので、鬣をつかまへて止めやうとすると、飛び上るほど手が痛かつた。気がついて見ると垣の茨をつかんでゐた。
やはり此の附近に、石杭で細かく仕切りをした畑地がある。
夜中になると、何処からとなく溜息が聞え、続いて、「わしの杭は何処へ打たう」といふ声がする。
これは、その昔、隣の地所へ杭を打つたゝめに死刑に処せられた亡者の怨霊だとなつてゐる。
処が、ある時、面白い男がゐて、その声を聞くと、いきなり、「前にあつた処へ打ちねえな」とやり返した。すると、重荷を卸した人間のやうに、「やあ、どうも有がたう」といつたきり、黙つてしまつた。
此の辺はまた、火の玉がしきりに出る。「聖母の泉」と呼ばれる井戸があるが、そこからは屡々火の玉が現はれて、ホア川の方に飛んで行く。そして、いつの間にか消えてしまふ。
「夜の羊飼」と呼ばれる化物がゐる。風が吹くと、煙突の口から「おい、おい」と怒鳴り、雨が降ると、窓を叩いて、「家の中へ入れてくれ」と訴へる。
かういふ話をしてゐるときりがない。
底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「言葉言葉言葉」改造社
1926(大正15)年6月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月29日作成
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