なか立派な芝居になるのだが、といふ風な、簡単な説明が添へてあるのです。で、或人は言ふのです、恐らくサンテヴルモンは、当時まだ作者名不明のシェイクスピアの作品を嗅ぎ当てたのではなかつたらうか、すると、彼れこそシェイクスピアの最初の紹介者ではあるまいかと言つてをります。
ところが、こゝに Nicolas−Clement といふ人があります。この人は十七世紀の王宮の図書館の司書でありまして、沢山のカードを作つてゐますが、そのカードの中にシェイクスピアといふ名前が見えます。そしてその説明として、イギリスの劇作家、非常に生気に富んだ、力強い作品を発表したが、その中には可なり粗野な惨虐な部分があつて、フランス人の嗜好には適しない、云々と書いてあるのです。以上がまづ十七世紀におけるシェイクスピアについての紹介です。まだもう一人ありますが、それは略します。
といふ風で、十七世紀に於てはフランスで殆んどシェイクスピアは知られなかつたといつていゝのですが、十八世紀になると、シェイクスピアの偉大さを十分に一般に徹底させた文学者がありました。これは御承知の『マノン・レスコオ』の作者 〔Abbe'−Pre'v
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