人の少女であつたらう。恋といふ恋をし尽した女、それは彼女の移り気を語るものか、さうではなからう。愛すれば愛するほど男に離れる、さういふ運命をもつて生れた女であらう。
「わざとさうしてるわけぢやないのに、あたしが愛した男は、みんな貧乏なんですもの……」
彼女は、男が貧乏と知つて(一人の女を食はせて置くだけなら金持ちではない)その愛を他の男に遷し得る女の一人ではなかつたのである。
流行と逸楽、追従と気まぐれに日を送るドゥミイ・モンデエヌの社会は、或は彼女の夢みつつあつた社会かも知れない。然し、彼女は夙くの昔、そんな夢から覚めてゐた。彼女は「落ち着いた生活」を心から望んでゐた。彼女はただ、「巷を彷徨ふ娘」に落ちて行くことを恐れた(下には下がある)その為めに、あらゆる男の手に縋つた、さういふ女の一人であらう。
彼女は、昨日まではまだ自分の「若さ」に頼つてゐた。「どうにかなるだらう」――さういふ女の唯一の哲学を、彼女もまた私かに抱いてゐた。
恋に生きる女の矜りと恥ぢを、希望と悔恨を、習癖と道徳を、彼女も亦もつてゐるであらう。
「恋人といふものは、お互に残し合ふ思ひ出のほかに、値打はないものよ」――
彼女ははじめて、「どうにかしなければならない」ことに気づいた。
若くして貧しき男、その男との絶縁は、やがて、過去の悩ましき恋愛生活との離別である。
「なんていふ空虚だらう。あんたは、何もかも持つて行つてしまふのね」――
此の空虚は、重荷を下した後の力抜けに似たものではないか。
外国の作品、殊に戯曲に現はれる人物の白《せりふ》を通して、その人物のコンディションを知る為めには、余程の注意と敏感さが必要である。わけても、その国の社会状態を一と通り研究することが肝腎である。
今、此の「別れも愉し」について見ても、女の生活はすぐに解るとして、此の男が、果してどれくらゐの社会的地位乃至教養の程度を有つてゐる人物か、それがわからなければ、第一、作品を味はふことが出来ず、それをまた、誤つて解釈してゐる場合には、白の妙味は丸で消えてしまひ、却つて、不自然さや、破綻を、読者自ら作り出すことになるのである。
例へば、此の男を、高等教育ぐらゐ受けた青年紳士とでも思ひ違へて、一々の白を追つて行くと、誠に浅間しいオッチョコチョイに見えるばかりで、あの微笑ましい喜劇味が、作者のくだらない気取りとしか思へなくなるかも知れない。
これは註釈を付するまでもなく、少し欧羅巴の都会生活、殊に巴里の生活といふことを考へたら、今日日本の知識階級の男女が好んで使ふほどの言葉は、職工や女売子が平気で日常口にしてゐる程度の言葉だといふことぐらゐわかる筈である。
学問と頭、思想と考へ、これは別物である。現代の日本では、学問をしないと頭が出来にくい。思想がないと考へが述べられない。さういふ傾きがある。これは社会がさうなつてゐるからだ。
もう一方、西洋では、学問のある人間と、学問の無い人間と、そんなに違つた言葉を使はない。日本ではその差がひどい。
西洋の作家は、学問の無い人間に面白いことを言はせる。それを日本語に訳すと、日本でなら学問のある人間しか使はない言葉になる恐れがある。然し、敏感な読者は、さういふ言葉を通しても、「言はれてゐること」が、いろいろの動機から、思想や学問と縁の遠いものであることがわかつて来る。それが一つの場面を通してその人物の学問や教養の程度を決定することになるのである。
ルナアルの描く人物は、必ずしも常に機智に富んだ人物ではない。ルナアル自身の目からは、その機智すらも愚かなる衒気と見えるやうな人物が可なりある。それに、作品そのものは極めて才気煥発といふ感じがする。極めてスピリチュエルである。これは、作中の人物を透して、作者の機智が光つてゐるのである。人物の言葉に耳を澄ましてゐる作者の目――その目つきが、人物以上に物を言つてゐるのである。これは、ルナアルに限らず、優れた喜劇作家の目附である。繊細な心理喜劇が往々浅薄扱ひを受けるのは、此の「作者の目」が見逃され易いからである。
ルナアルは断じて浅薄な作家ではない。
「赭毛」(Poil de Carotte)は、彼の同題の小説から材を取り、千九百年三月、アントワアヌ座で上演された。
ルピック氏の役はアントワアヌ自身が買ひ、「赭毛」にはシュザンヌ・デプレ夫人が扮し、文字通り芸術的舞台の標本を示した。
現在では、国立劇場コメディイ・フランセエズの上演目録に加へられてをり、ベルナアルとボヴィイの当り芸になつてゐる。
「赭毛」といふ訳語は山田珠樹君流で、名訳に違ひないが、原名を直訳すると「人参色の毛」で、此の髪の毛をもつて生れた人間は、ただ髪の毛が妙に赤いといふだけでなく、顔に斑点があり、体質も何処か畸形
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