眼は絶えず笑つてゐる。そして視線は動いてゐる。
前にも書いたことがあるが、アンドレ・ジイドの「サユル」を稽古にかけ出してから、コポオは非常に気むづかしくなつた。
ある日、私は、作者のジイドと隣り合つて稽古を見てゐた。
コポオは自ら「サユル」に扮するのだが、ある場面で、ジイドが
「おい、君、君、其処は下手へ引込むんだよ」と注意した。
コポオはやり直した。が、また、平気で上手へ引込んでしまつた。
ジイドは、ちらと私の方を顧みて、苦笑した。
「ねえ、コポオ、今のも……」
「わかつてる」とコポオは、冷やかに云ひ放つた。「此の引込みは上手でなけれや不自然だ」
「だつて、庭は下手だよ。そのつもりなんだ」
「どら……」と、またやり直して見て、やつぱり上手へ引込んだ。
ジイドも、流石にあきれて、肩をぴくんと聳やかした。
余談であるが、此の時、ジイドは、私の方に手を出して、英語で、「マッチをおもちですか」と問ふのである。勿論煙草を喫ふためであるが、私は、彼がなんのために、ここでわざわざ英語を使つたか、甚だ腑に落ちないのである。なぜなら、それまで二人は仏蘭西語で話をしてゐたのだから。私が「Voi ci」と云つてマッチの箱を出すと、煙草に火をつけ、また「Thank you」とやつたものである。なるほどかれは、シェイクスピイヤの翻訳をやつてゐる。それだけなら、なんの奇もないが、仏蘭西の文学者で外国語のできるものは甚だ稀れであり、そのことだけが、文名一世に高きアンドレ・ジイドをして、英語で「マッチをおもちですか」と云はせたのだ――といふ皮肉な解釈をして見るのも面白いではないか。尤も此の場合、いろんな理窟もつけられるにはつけられるが。
そんなわけで、私は、しばらく、ヴィユウ・コロンビエ座の隣にある同名のホテルに宿をとつた。南京虫の跋扈する安下宿で、便利だといふ以外に取柄はないが、其処のお神さんは、私を役者だと思つてゐたから可笑しい。
コポオは、朝晩、例の目の荒い碁盤縞の外套をひつかけて、此のホテルの前を通つた。私は、如何なる場合のコポオよりも、その黙々として狭い石畳の上を歩くコポオの姿を、最も鮮やかに思ひ浮べることができる。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「ふらんすの芝居」三笠文庫、三笠書房
1953(昭和28)年2月15日発行
初出:「悲劇喜劇 第六号」
1929(昭和4)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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