床を叩くのである)を持つて立つてゐるのである。
 そこで、私が案内されたのは、此の小さな部屋である。
 コポオは、二三人の座員となにか話をしてゐたが、私の顔を見ると、右手で私の手を握り、左手を私の肩にかけて、頗る気軽に応対をしてくれた。
 私はその時、予め用意して行つた文句をぶつぶつ云つたことは云つたが、なにしろ気をのまれてゐるので、ろくに舌がまはらず、ただ「ボン、ボン」といふコポオの声が、わけもなく私を感激させた。
 やがて、彼は、傍らの一人に向ひ、「おい、バッケ、お前の受持だよ、此の青年は……。家《うち》のものと同じだ。なんでも見せてあげるやうに……」
 それから、事務員を呼んで、毎回稽古の通知を出すこと、自由に小屋の出入を許すことなどの注意を与へてくれた。

 バッケといふのは、「ルルウ爺さんの遺言」で主役をやり、附属演劇学校でデクラマシヨンの講義をしてゐる親切で暢気な俳優である。

 何が困難だと云つて、殆ど毎日顔を合はしてゐるコポオと口を利くぐらゐ困難なことはあるまい。彼は一時も、ぢつとしてはゐないのである。
 こちらも、また、つまらないことを話しかけて、時間を潰させてはと思ふから、なるべく黙つてゐる。それでも稽古の時など、私が腰かけてゐる席の際に腰をおろしたりすることがあると、舞台に向つて投げかける小言の合間合間に、私の方へ何かと話しかけることがある。それも、大概は、こつちの返辞なんか待つてゐないのである。それを知つてゐるから、私もいちいち返辞なんかせずに、笑つたり、肯いたりしてゐるだけで、うまく調子が合つて行くのである。
「サダヤツコつていふ女優は、あれや、ほんとにえらいんですか。駄目、駄目、その調子は……もう一度やり直し……」
といふ風に、コポオは、人をなんとも思つてゐないらしい。

 私はバッケの勧めで、自由に科目を選択してもいいといふ条件で附属演劇学校に籍を置くやうになつたが、コポオの講義だけは欠かさずに聴いた。
 その講義は、殆ど座談に近いものである。席に着くと、一座を眺めまはして、ニヤリと笑ふ。なにか悪戯をしたさうな顔つきである。一番前の列に、かしこまつて坐つてゐる一座の若い女優を見つけると、「寒いね」とか、なんとか云ひかける。それから、天井を見上げる。はじめは聴き取れないほどの声で喋舌り出す。少し吃り加減な口調が、次第に熱を帯びて来る。が、
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