在、そこここで悪戦苦闘を続けてゐる新劇団体の、何れにも僕は見切りをつけたといふわけではない。大した希望ももてないかはり、あのままでは惜しいといふ気持も可なりあるにはある。殊に、その中に、一人二人、心がけ次第では可なり伸びられさうな才能をもつた俳優がゐる場合には、人ごとながら、秘かにやきもきしてゐる次第だ。
それらの劇団から、時々切符を送つて貰ふ度毎に、さういふ俳優がどんなことをしてゐるか、ちよつと見に行きたいやうな気がすることもある。が、舞台全体としては観ない先から見当もつくし、おほかたは、それらの人々の不心得、不始末を見せられる結果になるので、風邪など引きかけてゐるのを幸ひ、まあやめとけといふことになる。あとで、人から面白かつたといふ噂を聞くと、それでも、いくらか残念な顔はするが、内心、どうかしらと疑ふのが常である。
方針さへよく、稽古も十分で(少くとも一と月はやり)、出し物にも興味がもてれば、俳優は素人でも、僕は出かけて行くつもりだ。観たらきつと批評もしたくなるであらう。
伊賀山精三君の「唯ひとりの人」をやつた劇団は、一度観ておくつもりだつたが、伊賀山君が是非来いと云はないから、丁度その晩、この原稿を書いた次第だ。伊賀山君が僕に遠慮をする筈はないからだ。
美術座は、本庄桂介君が、僕のところへ見えて、何か新聞へ宣伝文を書けと云ふから、稽古を観た上でといふ約束をし、東洋ホテルの広間で、贅沢な稽古を拝見した。
その感想は、最近、何かへ書くつもりだが、お世辞を云はぬことにする。
往年、築地小劇場の旗揚以来、僕は、新劇団に対して、云ひたいことを云つてゐる。場合によつて提灯持ちの役も勤めるが、好い加減な法螺を吹いたところでなんにもならぬ。美術座には本庄君以外、旧知の諸君も大分ゐたが、会へば誰でも懐しい。まだ芝居をやつてゐるのかと思ふだけで、さう悪口も云へなくなるが、いつの間にか達者な「役者」になつてゐる人もゐて、僕は少々照れた。それにしても、稽古中なかなか味をやるので、うつかり最後まで座を起てずにしまつたことを告白する。(一九三四・三)
底本:「岸田國士全集22」岩波書店
1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「劇作 第三巻第三号」
1934(昭和9)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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