多田が、牛肉の包みと、トマトの袋を提げて帰つて来る。
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彼女  どうもありがたう。それぢや、そのお話は後で伺ふわ。

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(炊事場にはひる)
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多田  何の話だい?
阿部  ちよつと秘密の談合だ。
小森  秘密といふほどでもないが、今、発表したくないんだ。いづれ君にも後援は頼むよ。
多田  こいつの仕事かい?
小森  うむ、まあ、そんなことだ。頼むから、今日は帰つてくれ。君がゐちや、話がしにくいんだ。
多田  そんなら、おれの方を先へ話さう。実は、そのことでやつて来たんだが、君たちがゐれば、君たちの意見も聞きたい。かういふ話があるんだがどうだらう。おれが前に世話になつたことのある老教授なんだがね。今、隠退して著述に没頭してゐるんだが、助手の外に、もう一人、ほんの雑用だけをする若い人を探してゐるんだ。条件は、専門の学問はいらないから、快活で、気転の利いたなるべく生活の苦労を知つてゐる人といふんだ。午前九時から、午後四時まで、昼食は向うで食つて、月給三十円といふんだから、まあ、オフイス並だ。
小森  男でね……。
多田  無論女さ。
彼  なんだ、女か、その話は……。
多田  だからさ、君の口は後からみつけるとして、こいつ、奥さんにどうかと思つてさ。
彼  ワイフのことを何時頼んだ?
多田  頼まれなくつたつてそれくらゐの心配はするさ。
彼  余計な心配だ。

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彼女フライパンを持つたまゝ現れる。
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彼女  今のお話、よく聴いてなかつたわ。あたしがどうしたつていふの?
多田  (振り返り)いや、それがねえ……。
彼  (怒気を含み)おい、そんな眼でみるのはよせツ!
多田  え?
彼  そんな話は聞きたくない。早く帰つてくれ。
多田  しかし……。
彼  帰れつたら、帰れ。
多田  案外開けない奴だなあ。なあ、おい、君たち、どう思ふ? 外の場合と違ふぢやないか。いつまでもかうしてれば、食へなくなるのは眼に見えてゐる……。奥さんだつて、その方がどんなにいゝか……。
彼  やかましい。奥さん奥さんつて、貴様がそんなことに立入る必要はない。
小森  話が後先になつたんだ。
阿部  先に、さういへばよかつたんだ。
多田  そんなに怒るなら、帰るよ。冗談ぢやない。自分を知れ、自分を……。

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多田すごすご部屋を出る。
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小森  さう、まあ、腹を立てるなよ。あいつも親切でいつて来たんだ。しかし、人間は感情の動物だ。あの切出し方は、たしかに不味かつた。だからさ、おれの方の話を聴け。男らしく、うんといへ。
阿部  おれたちの話は、同じ親切でも、君の感情を尊重してかゝつてゐる。悪いことはいはない。うんといへ。
彼  いやだ。

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長い沈黙。
彼女は、テーブルの上を片づけ始める。
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小森  君には、おれたちの真心が通じないのか。

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彼女は、食器を運んで来る。
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阿部  君たち二人によろこんで貰へると思つて来たんだぜ。

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彼女は彼の向ひに腰をおろし、焼きたてのビフテキを、めいめいの皿につけ、飯をスープ皿によそふ。
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彼女  ぢや、失礼して、御飯にしませう。

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彼の友二人は、適当に椅子をずらす。
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彼女  こつちのナイフがよく切れるわ。いゝの、あんた二た切れたべていゝのよ。
小森  さういふとこを見てると、僕はつくづく、二人を幸福にしたい。そのために一生を捧げてもいゝやうな気がするんだ。
彼  熱情家ぶるのはよせ。
阿部  この二人を幸福にするといふことは、友達として甲斐のある仕事だ。
彼  人のいつたことを、すぐあとからいふな。
小森  こいつ、どうかしてるな、今日は……。
阿部  たしかに、どうかしてる。

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彼女は、肉を頬張つたまゝ、笑ひたいのをこらへてゐる。
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小森  こんな時、何を話しても無駄だ。帰らう。
阿部  また機嫌のいゝ時に出直して来よう。

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二人は彼女に会釈して退場。
彼、ナイフとフオークを投げ出して不愉快さうにその後を見送る。
彼女、素早く、疳癪玉の鑵を持つて来て、彼の方に差出す。
彼はその中から、一つを取り上げ床の上へ叩きつける。爆音。また叩きつける。爆音。
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彼  あんな話をされて、君はなぜ黙つてるんだ。(また叩きつける。爆音。)
彼女  どんな話……?
彼  バアを開けなんていふ話さ。
彼女  あたし、面白いと思つて聴いてたわ。
彼  (また叩きつけ)なにが面白い!
彼女  (これも、すぐに鑵の中に手を入れ)面白いぢやないの!(叩きつける、爆音。)
彼  世間の奴らは、おれを馬鹿にしてる!(叩きつける、爆音。)
彼女  あんたのひがみよ。あたしが働いちや、どうしていけないの? こなひだうちから、さういつてるでせう。一緒に外へ出て働きませうつて……。それを、あんたが許してくれなかつたんだわ。どうしてなの? 女に稼がせちや、男の顔にかゝはるとでも思つてんの。そんな馬鹿なことつてないわ。
被  おれは、君に働いてなんぞ貰ひたくない。貧乏をするのも辛いが、君に食はして貰ふのはなほ辛い。
彼女  誰も、あんたを食べさせるつていやしないわ。めいめいが、自分で食べるだけだわ。それもいやなら、あたし、あんたに食べさせて貰つた上、自分で稼いだお金は自分で贅沢をするわ。
彼  その贅沢も、おれがさせてやるんでなけれやいやだ。
彼女  あたしも、その方が結構だわ。なによ、そんな眩しさうな顔して。そこは夕日があたるからよ。もつと、こつちをお向きなさいよ。(彼女は彼の両肩をもつて自分の方へ捻ぢ向ける)
彼  おれには友達なんぞ一人もない。あれや、みんな、君の友達だ。
彼女  おや、また、別の話になつたの?
彼  あいつらは、君にだけ親切が見せたいんだ。
彼女  (疳癪玉を渡す)はい。
彼  絶交だ。(叩きつける。爆音)
彼女  (それに応じるやうに、叩きつける)むろんよ(爆音)
彼  酔ひどれの膝に、しなだれかゝる気か、君は……。そんな、そんなことがさせられるか。(叩きつける。爆音)
彼女  あゝ、さういふ意味なの? 衣裳を作つてやるつてさういふ意味なの? そんなこと、誰がするもんか!(叩きつける。爆音)
彼  もうひと息だ、我慢してくれ。おれの愛し方には欠点もあるだらう。君が、その欠点に堪へられなくなつた時は、おれは、もう、君にとつて用のない人間だ。
彼女  (彼の後から抱きつく様にして)大丈夫よ。大丈夫よ。
彼  大丈夫か? ほんとに大丈夫だね。

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この時、隣の女が、そつとドアを開ける。
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隣の女  あら、御免なさい。これ、みんな使つちやつたけど、とにかくお返しするわ。
彼女  (ヘチマコロンの空瓶を受け取り、ドアを閉める)
彼  あの女、いやにおめかしをしてるぢやないか。
彼女  そんなの、見ないだつていゝことよ。
彼  見るわけぢやないさ。たゞ、君の前では、もつと遠慮をするといゝんだ。
彼女  そんな下らない心配はおよしなさい。あたし、かうするから……。(疳癪玉を叩きつける。爆音)
彼  ほんとだ。おれは、どうして、かうケチな量見しかもてないんだらう。われながら腹が立つよ。どら、貸せ。もうないのか。なんだ、空つぽぢやないか。えゝツ、糞《くそ》、どうして、もうないんだ……。
彼女  もつといるの? もつと欲しいの。疳癪玉……? だつてだつて、もうおしまひよ。そんなら、そんなら……(あたりを見廻し)待つて頂戴……。これは?(ヘチマコロンの空瓶を差出し)え、これは?……これぢや、いけなくつて……。
彼  (ヘチマコロンの瓶を受け取り、そいつを振り上げるが急にぐつたりと椅子に倚りかゝり)こんなもの、ぶつけたつて、しようがないや……。

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彼女はいきなり彼の胸に顔を埋め声を忍んで泣く。
[#ここで字下げ終わり]

[#地から5字上げ]――幕――



底本:「岸田國士全集5」岩波書店
   1991(平成3)年1月9日発行
底本の親本:「浅間山」白水社
   1932(昭和7)年4月20日発行
初出:「週刊朝日 第二十巻第二号」
   1931(昭和6)年7月5日発行
入力:kompass
校正:門田裕志
2008年3月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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