が、起ち上る拍子に、日に焼けた男の太股を出したのが失敗で、見物はしたたか幻滅を感じさせられたが、女土工は、徹頭徹尾見物にうしろを向けた工夫が当つて、大きなぼろを出さず、無事に交番へ連れて行かれた。
「神崎与五郎東下り」は、これこそ珍中の珍、酔つ払ひの駕籠屋が独りいい気になり、与五郎は素面でたじたじ、思ひ出しての思ひ入れで気が抜けること夥しく、歌舞伎通の都の令嬢たちは、これを笑はなければ体面に拘はるから、おなかを二つに折つて肩だけゆすつてゐる。
さて、僕が当夜の傑作と思ふものは、喜劇と銘打つた茶番「おしやべり小僧」ではなく、実は、剣舞の後で、やはり即興的詩吟に合はせて演じるパントマイム、僕が仮に之を題すれば、「貧書生の散歩」――歌詞をいちいち記憶しないのは残念だが、兎に角、貧書生が、勉強にも飽き、空腹を抱へて、一夜、月明の町を散歩する。洗ひざらしの絣、よれよれの袴、手には普請場で拾つて来たやうな木ぎれのステツキ。これが、肩を怒らし、足を踏みならし、詩吟の声に合はせて出て来る。勇ましいやうでどこか惨めな人物である。ふと、道ばたに何か光る物が落ちてゐる。ステツキの先でちよいと、さはつて見る。しめたツ! からだを屈めてそれを拾ふ。「……月の光にすかし見れば、銀貨だと思つたのはビールの栓であつたあ……」といふやうな歌につれて、書生は、いまいましさうに、そいつを投げ棄てる。やがて、また、何か見つけた様子である。前と同じ動作を繰り返す。今度は「簪の玉かと思つたら、梅干の種であつたあ……。」
誇張に過ぎず、独り合点に陥らず、微細な表情と動きに、おのづからなユウモアを漂はして、見事に見物の頤を解かした。次の幕、八木節に合せる泥鰌掬ひのパントマイムは、野趣極まつて卑俗に流れ、達者にまかせて擽りの過ちを犯してゐた。
さてと、開き直るほどでもないが、当夜の出し物中、大体に於いて、役者が苦心してびくびくやつてゐるものは失敗の憂目に遭ひ、楽に愉快にやつてゐるものは、あれでも何かしらを見物に与へたといつていい。力に余るといふことの悲しさを僕はここでも感じた。
素人天狗の図々しさもなく、芸術家気取りの重苦しさもなく、雨に飽きた夏の一夜を、ゆくりなくも楽しませてくれたこの劇団の労を謝する次第であるが、僕をして一言、註文を出すことを許して貰へるなら、この種の素人劇団は、所謂職業俳優の糟粕を嘗め
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