云へば、わりの悪い仕事のやうである。といふのは、劇といふもの、殊に近代劇といふものに対する日本劇壇の観念が、仏蘭西劇の伝統と相容れない点が多いからである。
しかしながら、その仏蘭西劇の伝統を、特質を、完全に紹介し得たならば、日本の鑑識ある好劇家は、決してその魅力に鈍感な筈はないのである。
この紹介は、実際、文字による翻訳だけでは不十分である。「語られる言葉」のあらゆる妙味は、相当の俳優――自分の表現を工夫し得る俳優――を俟つて始めて伝へ得るものである。
この点で、私も、翻訳者としての責任を飽くまで負ふつもりであるが、同時に、「心」座の若い芸術家諸君が、それだけの覚悟をもつて、此の脚本にのぞまれてゐる事を、心強く感ずる次第である。
云ふまでもなく、戯曲の本質は、人生を形づくるいくつかの魂の、最もリズミカルな響きの表現である。一音を誤れば、音楽の演奏は完全でない如く、一語を聞き漏らすことによつて、舞台のイメージは一つの空虚を残すのである。「落伍者の群」一篇は、光明と暗黒の間を縫ふ二ツの生命の流れ――その流れが奏でる悽愴な、そして微妙な心理的|旋律《めろでい》である。その演奏が、翻訳
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