あると云ふのか。
甲――「苦しみ」の中にはない。「苦しみ」の外にある。先にあると云つてもいゝ。
乙――「悟り」のことを云ふのか。
甲――「悟り」……「悟り」は、君、「文学以上のもの」だよ。どうして、さう君は脱線するのだ。
乙――お前は、それなら、やはり、人生に救ひを求めてゐるのだ。お前のいふ「明るさ」とは「救ひ」のことだらう。
甲――「救ひ」……「希望」と云つてもいゝか。いや、おれは、人生はあるがまゝで、「どうにもならない」ものだと思つてゐる。たゞ、その「あるがまゝの人生」とは如何、そこに疑ひを有つてゐるだけだ。「あるがまゝの人生」が如何に「苦しく」「暗く」見えても、また如何に「楽しく」「明るく」思はれても、たゞそれを、そのまゝ描くことが文学の「総て」だとは思はない。
乙――わかりきつたことぢやないか。
甲――これは参つた。だからさ、おれが求めてゐるのは「人生の明るさ」ではない。飽くまでも「明るい文学」なんだ。その「明るさ」は、君たちの云ふ人生の何処にもなくつていゝ。たゞ作品の中にあればいゝんだ。
乙――だからそれは「虚偽の文学」だと云ふんだ。真面目に人生に対してゐない文学だと云ふんだ。「ほんとうに」生きようとするものは、そんな文学に用はない。
甲――用が無いと云はれゝば仕方がないさ。おれは、君達の為めに文学をやつてゐるのではないと云ふまでさ。だが、最後に断つて置くが、ほんとうだかどうだかわからないことを「ほんとうだ」と云ふ方が、おれには出鱈目のやうに思はれる。真面目に人生に対してゐるかゐないか、それは真面目といふ言葉の意味から決めてかゝらなければならないが、おれたちには、人生と睨めつくらができないだけの話さ。おれたちは、文学の中に人生そのものよりも、人生を観てゐる作者の眼を探すのだ。そして、その眼の中に、「新しい人生」を発見するのだ。「明るい文学」とは作品の中に光つてゐる「作者の眼の明るい輝き」以外のものではない。
乙――お前には文学といふものが解つてゐない。
甲――君はわかつてゐるのか。
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底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「創造日本 八月号」
1927(昭和2)年8月1日発行
初出:「創造日本 八月号」
1927(昭和2)年8月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月17日作成
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