だ片腹痛い仕業であるが、もともと、雑誌発刊の動機が、前に述べた如く、多分に個人本位であり、私自身の言論機関をもつと同時に私の信頼する先輩友人諸氏に、私が読者と共にきかうとするところをきき得る一つの場所を作つたに過ぎないのであるから、これだけは大目に見ていたゞきたい。
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 次に、この雑誌は、研究に重きを置くつもりである。研究に片手落は禁物である。自然主義の研究は浪曼主義研究の上に築かれねばならぬ如く、ドイツ流演劇学の研究は、古典作家の研究から出発すべきである。或はまた、クレイグの美学は、ワグネルの理論を経なければ理解し難く、更に遡つて、プワロオの詩学《アアルポエチツク》と対立さすべきである。今日までわが国の新劇研究は、多く、外国の作品紹介と演出記録以外に出なかつた観がある。これもやはり手落である。何故に劇場組織を閑却したか。何故に見物の欲求を問題にしなかつたか。殊に、何ゆゑに、国情と民族性に触れなかつたか。そして、殊に殊に、何故に俳優を除外したか、何より大切な俳優を?
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 微々たる一雑誌が、新劇運動の全使命を果し得るとは考へない。ゆゑに私は、たゞこれに一つの新しい方向を与へようといつたのである。処がその実、雑誌そのものにはそんな力すらないのである。たゞ、私の希ふところは、この雑誌の忠実な読者諸君が、最も広き意味におけるわが国新劇運動の指導者たり得る日が、何時か来るであらうといふことである。
「悲劇喜劇」は、最初私の独力で出す計画であつたが、二三の親しい友人が献身的にこの仕事をたすけてくれ、発行事務に関しては、第一書房が全責任を負つてくれることになつたから、こんな心強いことはない。冗費をはぶくため、小売店に出さず、直接購読といふ制度にした。その結果、体裁内容とも、定価五十銭にしては非常に安いものになる筈である。その代り、多く売る方針を取らず、確実に読者をある数だけ得ればいゝことにする。九月廿五日に十月創刊号が出る。成るべく早く申し込んでほしい。



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「東京日日新聞」
   1928(昭和3)年8月21、23日
初出:「東京日日新聞」
   1928(昭和3)年8月21、23日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年7月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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