身の「モンテーニュ」的とも思はれる風格を必要とするのである。関根君の「モンテーニュ」は、実に、今日までの日本に於て、何人も企て及ばなかつたやうな、原書と訳文との微妙な照応を示し、恐らく完全な意味に於ける「モンテーニュ」日本語決定訳として、世界に誇示するに足るものである。
ハ 「モンテーニュ随想録」の翻訳が今日の日本に於て、文学賞を獲得するといふ時代的な現象について、私は、国民一般の注意を喚起し、特に、諸外国の識者にこのニュウスを伝へたく思ふ。これは何よりも雄弁に、我が国の文壇(若し文壇がそれを認めるなら)が、自国権力階級の反動化と蒙昧に拘はらず、常に進歩と自由の味方であることを語り得るものだと信じて疑はない。この翻訳がもう五十年早く世に出で、日本の大学生の大部分がこれを読んでゐたなら、今頃はもう少し世の中が明るくなつてゐたらうと思ふくらゐである。(一九三六・二)
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底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
1936(昭和11)年11月15日
初出:「文芸懇話会 第一巻第七号」
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