太陽の周りで運行するが如く、軌道を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてをつて、發光するときはその道が變更される。その光波の振動期は、軌道に在る電子のエネルギー變換で極るといふことであつた。この議論が量子論の當初の如くまた槍玉に揚げられたけれども、着々實驗證明を得たので、その説を敷衍し、また證明する實驗が學者の本務のやうに考へられ、物理學上研究論文の大部分はボーア派の獨り舞臺であつた。即ち一九一三年より一九二五年まで十二年間は、物理學史上いはゆるボーア時期なるものを劃成し、原子内の電子について少からざる光明を放つた。然し始めあるものは終りありで、段々調べて行くと、或る元素の發する光線は、どんなに實驗を委しくし計算を施しても、電子の軌道説では解釋されなくなつた。しかのみならず光の強弱や、偏りなどについては、何とも明示することが不可能である缺點を有つてゐたから、修正を施さねばならなくなつた。
量子説の説明に苦しんだ現象は干渉と※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]折であつた。これは最初から攻撃の的になつた。波動説に從へば何んでもないが、量子が干渉するには特別の機構がなければならぬ。偏りを生ずるには猶更難澁である。この重要なる現象を説明するには單にボーア流の觀察では不滿足であつた。これよりさきアインシュタインは光電池が、煌々と照らされて電子を逸出する作用を論じ、光量子は微粒子の如く、エネルギーである以上はその運動量も同時に考察せなければならぬ。逸出する電子のエネルギーは物質より出るに必要なる仕事を、光量子から引き去つたものと均しと論じたが、この論鋒は正しく、又エッキス線に關するコムプトン(米人)效果に適用されて、光量子が恰も微粒子の如き行動を執れば自ら解決することゝなつた。
由來光は波動であるとか、微粒子であるとか考へてゐるが、その間に離るべからざる關係があるではなからうか。微粒子が動く場合には、波動に伴はれてゐるであらうとはド・ブロイー(佛人)[#「(佛人)」は底本では「(佛人 」]が説きはじめた事柄である。されば電子を大速度で動かして、エッキス線同樣の結果を得るや否の試驗をなした結果、理論で示す如き波長の線あること證明し、遂に波動電子の觀念を得るに至つた。しかしド・ブロイーの議論は、意味頗る深長であるから、シュレーヂンゲル(墺人)によつて著るしく發展せ
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