確かになつた。中に鹽素の如き三五・五倍であつて、何だか疑はしくあつた。三五とも考へられ、三六とも註せられる。よく/\測定して見ると、同じ元素であつても原子の核は違つた質量を有つてゐるものがある。鹽素の原子核は、水素原子核の三五倍のものと、三七倍のものとが混交してゐて、普通は平均値三五・五になるやうな割合になつてゐることが發見された。かやうな元素は同位元素《アイソトープ》と名づけられた。
このやうな元素は化學元素中大部分を占めてゐる。例へば水銀は六つの同位元素の混合體である。換言すれば元素は水素原子を單位として、倍數の質量をもつてゐる。然らば諸元素からできてゐる物質も、また量子的に構造されてあることは必然である。同位元素の研究は、今なほ進行中である。同位元素間に微少の物理的差違があるけれども、化學作用においては變りがない。今假りに輻射エネルギーがこんなものであるとすれば、別に量子となすも困難はないのである。況や、相對原理は、エネルギーに質量があることを明示してゐるから、輻射量子を理解するに困難はない。現に光は粒子として取扱つても差支ないとの考へを出してニゥトン時代の光微粒子説の一部を復興しようとしたこともある。逆に近ごろは電子が輻射に變じてしまふとまで論ずる學者がある位だ。多くの人は、考へ方が習慣と異つて來ると、思はず暗礁に乘り上げた氣持ちがするから、何となく抗議を申込みたくなる。しかしプランクの破天荒な思索で遂に輻射の疑惑を解釋することができた。これが量子論の發端である。通俗に考ふれば、物質が量子であることが最も理解し易い、また荷電も電氣量子の倍數であることを容易に考へ得る。
これと前後して明瞭になつたことは、原子が陽電氣を帶ぶる核と、陰電氣を帶ぶる電子の或る數からできてゐて、陰陽相均しき場合に普通の状態に在ることである。しかし原子その物の内部の組織は如何なる仕組であるか判明しなかつた。今原子を商店に例へてみれば、二十世紀はじめころまでは、商店をそとから覗いて商品やその飾り付けを觀てゐたばかりである。量子論が啓けてからこの方面では意外な掘出物をした。今度は商店の内に入つて、その品物の造り方を調べ、店の帳簿まで檢査して見ようと大膽な擧動を發揮してきた。その結果、店先きに在るものは電子ばかりである。その電子がどんなものであるかは單に臆測に止まつて、只陰電氣を帶びてゐ
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