ていた學者達はこのような光量子のあることを 夢幻に似たりと批判して容易に許容しなかつた。殊に光は 不思議なエーテルの振動であると信じ來つた學者には 思いがけ無き聳動であつた。また革新であつた。やがて年少氣鋭の學者は これに賛同するもの幾多現われ プランク恒數 h を利用して 物理學と化學とにおいて諸問題を解釋するに至り益々聲價を揚げた。中にもアインシユタインは當時不可思議に思われた光電作用を只一行の方程式で演繹するを得たのは 一層の光輝を hν に放つたというべきである。また原子構造はますます具体的に啓發され原子は帶電微子の集合であるから その運動するときは必ず輻射を伴う。それ故 原子論を進捗するに h の效用は偉大なるものがある。然しこれに關する論文を書けば h の現われないことは殆どないくらいに普及されている。しかし黒体の輻射により誘發されたプランク恒數は どんな意味を含んでいるかは未來の問題である。
 先生が自然恒數 h を提唱してより約10年自分はラザフオード[#「ラザフオード」は底本では「ラザフーオド」]に黒体輻射則を如何に考えるかと問うた。彼は愼重な態度で答えた。「そもそも宇宙は單純な法則で支配されている。万有引力は距離の2乘に反比例し相互の質量の積に比例する。電氣も磁氣もこれに類似している。しかるに輻射はこれに反し 恐らく複雜な 一言にして明らかにし難き法則により支配されている。單純を基としている自然が 輻射に限り プランクの式の如き規程を設けたとは いかにも不思議である。將來この法則は單純化するのであろう。自分はまだ承認し得ない」と その疑惑を披瀝した。
 續いてアーヘンにスタルク(スタルク效果の發見者)を訪ね その輻射則に關する意見を叩けば ラザフオードと表裏し「プランクの法則にはその恒數 h あり 光の速度あり ボルツマン恒數ありで 獨り万有引力恒數が缺けているのは遺憾である。このくらい面白い法則は無い」と賞讚した。兩學者はまだ h の須要性を理解していなかつたからこんな氣焔を吐いたと思う。今は敢て是非を議する要はない。
 先生は寫眞に示す如く 細面の人で鼻は高く 額に碧筋が現われていた。眼は鋭く 話ははつきりして 講釋は音吐晴朗 語調明確 別に氣取つた風采なく 抑揚頓挫なども稀で 偏に學生の理解を希うていた。
 自分が初めて師事したのは 189
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