十五六の弟の少年が、一緒に踊つてゐるのを見ましたが、是もようござんしたよ。」
谷崎潤一郎氏も、其の頃、一家連れでよくやつて来た。そして此の悪魔主義の作家が可愛い鮎子ちやんの手を取つて、室の隅つこの方で、鮎子ちやんよりもたど/\しいステツプを踏みながら、踊つてゐるのを見るのも、決して悪い感じではなかつた。
それから矢張り横浜の或る医師のお嬢さんで、必ず両親の中の誰かに附き添われながら、踊りに来て居る人があつたが、父なる人が、娘の軽《かる》やかに踊るのを、――その人は大抵品のいゝ西洋人とばかり踊つてゐた。――さも嬉しそうに眺めて、一晩中|卓子《てーぶる》に坐つてゐるのも、決して悪い感じではなかつた。そして是からの人々は、決して社交ダンスと云ふものが、不良少年少女のものではない、生きた証拠のやうな気がするのだつた。
世上には、ダンス流行の声が高い。が、事実はそれ程の事はない。常に同じ顔振れで、同じダンス場をぐる/\廻つてゐるに過ぎない。私の見る所では、此の広い京浜間でも、内外人取交ぜて五百人とは居ないやうな気がする。そして色々な非難もあらうが、谷崎君も嘗《か》つて云つた通り、明るく快活な気持で、一|夕《せき》を過すと云ふ意味なら、もつと、寧ろ流行させたいやうな気がする。ダンスとプロレタリア! さう云ふ問題は、又|自《おのづか》ら別に存するだらう。が、ダンス其物が、必ずしもプロレタリアの思想と逆行するものでない事は、共産ロシアにもダンスが盛んでない事はないと云ふ一事で証明が付く。要は踊る『人』の問題だ。私は浅草あたりに、一つ民衆ダンス場を拵《こしら》へたいとさへ思ふ。ダンスは由来民衆的なものなのだから。……
茲《こゝ》に『私の社交ダンス』一篇を敢《あへ》て草する所以《ゆえん》である。
底本:「日本の名随筆 別巻96 大正」作品社
1999(平成11)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「久米正雄全集 第十三巻」平凡社
1931(昭和6)年1月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2007年8月11日作成
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