いであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔Me'moires du Royaume de Sue`de, ch. vi. p. 196〕
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一七八九年は死亡の多い年であったが、しかもニカンデル教授から私が得た報告から見ると、この国の一般的健康状態は増進したことがわかる。一七九五年に終る二十年間の平均死亡率は三七分の一であって、その前の二十年間の平均たる三五弱分の一よりよくなっている。一七九五年に終る二十年間に増加率は逓増していないのであるから、死亡率の減少は予防的妨げの作用の増大によって生じたものに違いない。同教授から得たもう一つの計算は、この推測を確証するように思われる。ジュウスミルヒが引用している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]ワルゲンティン氏の説によれば、現在夫婦五組に対し年に一人の子供が生れる割合であったが、前記の後の方の時期には、現在夫婦の年出生に対する比は、五・一対一、私生児を除けば五・三対一であった。これは後の方の時期には、結婚が早婚でなくまた多産的でなかったことの、証拠である。
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