比率は与えていないであろう。少くとも、後期よりも前期の方が埋葬以上に出ずる出生の超過が大であると期待すべき、多数の理由がある。ある国の人口の自然的増加においては、その後期よりも初期の方が、他の事情にして等しければ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、より[#「より」に傍点]良い土地が耕作されることであろう。そして生産物のより[#「より」に傍点]大なる比例的増加は、ほとんど常に、人口のより[#「より」に傍点]大なる比例的増加を伴うであろう。しかし、埋葬以上に出ずる出生の超過をして現世紀の中頃よりもエリザベス女王の末期において当然より[#「より」に傍点]大ならしめるべきこの大原因の外に、私は、前期において疫病《ペスト》が時々暴威を振ったのでこの比率はやや増大する傾向がなければならぬ、と考えざるを得ない。この恐るべき疾病の襲来した中間期の十年の平均を採ったとすれば、または疫病《ペスト》流行年が偶然的なりとして排除されたとすれば、記録簿は確かに、真の平均人口増加としては高きに過ぎる出生の埋葬に対する比率を与えるであろう。一六六六年の大疫病後の数年間には、おそらく通常以上の埋葬以上の出生の超過があったことであろうし、ことに英蘭《イングランド》は現在よりも革命の際(これはわずかにそれより二二年後に起ったものである)の方が人口が多かったという、プライス博士の意見が根拠あるものであれば、いっそうそう思わざるを得ない。
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『1)[#「1)」は縦中横] 私は、他の事情にして等しければ、と云うが、けだしある国の生産物の増加は、常に著しく、そこに行われる勤労の精神とこの精神の指導様式とに、依存するからである。人民の知識と習慣その他の一時的原因、なかんずくその当時の市民的自由と平等との程度は、常に、この精神を刺戟し指導するに当り大きな影響を及ぼさざるを得ないものである。
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『キング氏は、一六九三年に、ロンドンを除く大英国全体の出生の埋葬に対する比率は、一一五対一〇〇であると述べている。ショオト博士は、現世紀の中頃に、これを、ロンドンを含んで一一一対一〇〇としている。一七七四年に終る五箇年間のフランスではこの比率は一一七対一〇〇であった。もしこれらの記述が真に近いとすれば、また特定の時期にこの比率に非常に大きな変動が何もないとすれば、フランス及び英
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