となる。これを一七一一年の結婚数と出生数とで割ると、結婚は人口の約二十六分の一、出生は約十分の一となる。かかる異常な比率は、いかなる国においてもただ一年だけ起り得るものである。もしそれが継続するとすれば、それは人口を十年以内で倍加するであろう。表の中には誤りがあり、また疫病流行年の出生及び結婚が一七一一年に含まれているということは、あり得る。もっとも死亡は慎重に区別されているから、こういうことになっているのははなはだ奇妙に思われるのであるが。しかしながらそれは大して重要なことではない。その他の年が一般原理を例証するに十分である。(訳註――この註の終末の『表の中には誤りがあり』以下は、第四版より現われたものである。)
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 翌一七一二年には、結婚数はもちろん著しく減少したに違いない。けだし青春期にあるほとんどすべてのものは前年に結婚してしまったので、この年の結婚は主として、疫病《ペスト》流行の後に青春期に達したものによって行われたからである。しかしそれでも、結婚可能なものの全部が前年に結婚したわけではおそらくないから、一七一二年の結婚数の人口に対する比率は高く、そして、前年の結婚の半数より遥かに多いというわけではないけれども、疫病《ペスト》流行前の最終期の平均数よりは大である。一七一一年における出生の結婚に対する比率は、結婚数が比較的小であるため、前年よりは大であるけれども、三・六対一すなわち三六対一〇であるから、他国に比べれば大きくはない。しかし出生の死亡に対する比率は、かくも大きな比率の人民が結婚した前年よりは小さいけれども、二二〇対一〇〇であるから、他国に比べればなお異常に大である。この出生超過は、三六分の一という死亡率に基づいて計算すると、(二六三頁の第一表によれば)二一年八分の一で一国の人口を倍加するであろう。
 この時期以後、年結婚数は減少した人口によって規制されはじめ、そして云うまでもなく疫病《ペスト》流行以前の平均結婚数以下にはなはだしく低下しはじめたが、これは主として年々結婚年齢に達するものの数が減少したからである。疫病《ペスト》流行の九年ないし十年後の一七二〇年には、偶然によるのか、または予防的妨げの作用がはじまったのによるのか、年結婚数は最少であった。そして出生の結婚に対する比率が非常に高くなったのは、この時である。一七一
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