Wするものの中でも牧師は通常埋葬数(多かれ少かれ正確な)内容を知ることが出来るのである。
 かかる理由から、非国教徒の数の増加その他の原因によって、出生記録簿の脱漏は最近はおそらく減少よりはむしろ増加してきているらしい。しかし一八一二年の条令以来、出生の記録簿は前よりも注意深く記録されていると考えられている。そして、一八二〇年をもって終る一〇箇年間では、出生の結婚に対する比率がより[#「より」に傍点]大であることは、確実である、――もっとも出生及び結婚の総人口に対する比率は共に、一八〇〇年におけるよりも、また一八一〇年をもって終る十箇年間におけるよりも、小であるけれども。かかる事情の下においては、出生及び埋葬の脱漏の蓋然数について何らかの新しい結論を引出す前に、より[#「より」に傍点]以上の文献が現われるのを待った方がよいかもしれぬ。確実と考え得ることは、出生を六分の一、埋葬を十二分の一だけ加え、国外死亡者につき適宜斟酌すれば、これはリックマン氏の数字による一七八一年ないし一八〇一年の二十箇年間の人口増加を説明して余りあるものであるけれども、それは実測による一八〇一年ないし一八二一年の二〇箇年間の人口増加を説明するには足りない、ということこれである。
 人口実測の結果は、なかんずく最近二囘のそれは、各所に住所をもつものが一囘以上数えられたので、実数以下よりもおそらく以上になっていると推察されている、と私は聞いた。この推定は、外見上は人口が異常な速度で増加したにもかかわらず、出生及び結婚の総人口に対する比率が減少した事実を説明するものと、認めなければならぬ。しかし同様な比率の減少は、死亡率の減少によっても生ずるであろう。そして死亡率の減少は他の理由から満足に確証されたのであるから、それは立派に右の現象の大部分を説明するであろう。そして二重計算によるものと正当に考え得るものがあるとしても、それはほんのわずかな数であるはずである。
 出生及び埋葬の両者に大きな脱漏があり、それは後者より前者の方が大であることは、全く疑い得ない。報告の作成に関係したあらゆる僧侶の証言は、リックマン氏によれば、この点で一致している。そしてもし吾々が、一八〇一年ないし一八二一年の脱漏の比率をもって、一七八一年ないし一八〇一年について仮定したと同一であると仮定し、この前者の人口実測における二重記入
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