になろうが、この比率は、三六分の一という死亡率に基づいて計算すれば、一国の人口を一二五年にして倍加せしめるものであり、従ってこの世紀全体に対する平均たり得る大いさの、比率である。我国の人口を最高に見積っても、それは革命当時の二倍とはならない。』
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 しかしながら吾々は、この出生対死亡の比率、または出生及び死亡の総人口に対する何らかの仮定的比率が、この世紀を通じてほとんど斉一に継続したと考えてはならない。相当の期間記録されたあらゆる国の記録簿を見れば、時期を異にするにつれ著しい変動が生じていることがわかる。ショオト博士は、この世紀の中頃に、出生の死亡に対する比率を一一対一〇と見積った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてもし出生が同じ時期に人口の二十八分の一であったならば、死亡率は三〇・八分の一という高率であったのである。吾々は現在出生の死亡に対する比率は[#「比率は」は底本では「比は率」]一三対一〇以上であると想像している。しかしもし吾々がこの比率をもって、次の百年間の人口増加を測定する指標とするならば、吾々はおそらく非常に大きな誤謬に陥るに違いない。吾々は、我国の資源が、一三対一〇というが如き永久的な出生対死亡の比率を許す如き速度で、相当の期間増加するとは――実際この比率が主として大きな国外流出によって惹起されたのでない限り――合理的に想像することは出来ないのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] New Observ. tables ii. and iii. p. 22 and 44 ; Price's Observ. on Revers. Paym. vol. ii. p. 311.
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 蒐集し得た一切の資料からして、英蘭《イングランド》及びウェイルズの出生の総人口に対する比率は一対三〇と推定してきた。しかしこれは、ノルウェイ及びスイスを除けば、この観察を行うに当って今まで出てきたいかなる国に生じたよりも小さな比率である。そして在来、大なる出生率は活力あり繁栄せる状態の最も確実な徴標であると考えるのが、政治統計家の常であった。しかしながら、こうした偏見は永続しない方が望ましい。アメリカやロシアのような事情にある国では、またはその他の国である大きな死亡率を生じた後では、大きな出生率は
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