一日二十ペンスであり、そしてあらゆる種類の食料品は英蘭《イングランド》と同様の低廉さに復している、と云っている。これをもってすれば、フランスの労働者は、一日三シリング四ペンスを得る英蘭《イングランド》労働者と同じだけの生活資料購買力を得ることとなる。しかしながら、英蘭《イングランド》の普通日傭労働の労賃が三シリング四ペンスまで上ったことは一度もないのである。
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1)[#「1)」は縦中横] P. 391.
2)[#「2)」は縦中横] P. 13.
[#ここで字下げ終わり]
かかる叙述には多少の誤りがあるとしても、それは明かに、フランスの下層階級の境遇が著しく改善された事実を確証するに足るものである。しかし、この窮乏の圧迫からの解除が、死亡率の減少を伴わずに起ることは物理的不可能に近い。そしてもしこの死亡率の減少が急速な人口増加を伴わなかったならば、それは、必然的に出生率の減少を伴ったに違いないのである。一八〇二年から一八一三年に至る中間期に、人口は増加したように思われるが、しかしそれは徐々たる増加であった。従って出生、死亡、結婚の比率の減少、または慎慮的抑制の作用の増大こそが、当時の事情上吾々の期待すべきものである。人口増加率、気候の自然的健康性、及び都市と工業の状態が、ほとんど同一と思われる二国において、貧困の圧迫の強い方の国は、出生、死亡、結婚の比率も大である、という命題ほど、議論の余地なき命題はおそらくないであろう。
しからば、従来想像されているように、一八〇二年以来フランスの出生率が三分の一であるからといって、ネッケルはその乗数として二五・四分の三ではなく三〇という数を用うべきであった、ということにはならない。もし革命前及び革命以来のフランスの労働階級の状態について述べた説明が幾分でも事実に近いとすれば、右の両時期における人口の増進速度はほとんど同一であるように思われるから、現在の出生率はネッケルの書いた時期には当てはめ得ないであろう。同時に、彼れの採用した乗数が低過ぎるということも、決してあり得ぬことではない。フランスの人口が、一七八五年から一八〇二年に至る間に、二千五百五十万から二千八百万に増加したとは、いかなる事情の下においても信ずることは出来ない。しかしもし吾々が、乗数が当時二五・四分の三でなく二七であると認めるならば、こ
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