密に正しいと考えたからであるよりはむしろ、例証のためであったことを、気附かれることであろう。(訳註――この註が最初に現われたのは第三版からである。ただし右の形で現われているのは第五―六版であり、第三―四版では、第一パラグラフの、『しかしこの計算は憲法議会の行った第一囘推算を基礎とするものと思われるが、これは後に至って過大なりとして排斥されたものである。』の一文はなく、またその少し後の、『総人口は三四、三七六、三一三に増加し』の次には、次の一文が挿入されていた。『そして第七年とほとんど同一数が旧フランスに属するものと想像され、』)
2)[#「2)」は縦中横] Essai de Peuchet, p. 28. この私生児出生の増加が、サア・フランシス・ディヴェルヌワが指摘しているように、かの恐るべき収容所たる育児院に異例の数の子供を遺棄せしめることになったのは、極めてありそうなことである。しかしおそらくこの残酷な慣習は特定の地方に限られ、そして遺棄されたものの数も、全体としては、出生総数に対しては、何ら大きな比率には上らなかったことであろう。
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サア・フランシス・ディヴェルヌワは曰く、『革命や戦争でどれだけ人が死んだかを調べることの出来る場所は戦場や病院だと思う者は、政治算術の第一原理をまだ知らないものである。それによって殺された者の数よりも、それによって今まで出生を阻まれ、また将来も阻まれるべき、子供の数の方が遥かに重要である。これこそがフランス人口の蒙った最大の痛手なのである。』また曰く、『死滅した男子総数の中《うち》、仮にわずか二百万が同数の女子と結婚したとすれば、ビュフォンの計算によると、この二百万の夫婦は、三十九歳で親と同数の子供を生み出すためには、一千二百万の子供を産まなければならぬこととなる。この見地からするならば、かかる人間の破壊の結果はほとんど測り知るべからざるものとなる。けだしそれは、フランスが哀惜している二百五十万という現実の損害よりも、それが一千二百万の子供の出生を阻んだ点において、遥かに大なる影響を与えたのであるからである。フランスがこの恐るべき傷痍がいかなるものであるかを覚《さと》るのは、遠い将来ではない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
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1)[#「1)」は縦中横] Tableau
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