ずかに毎年約四五、〇〇〇に過ぎぬと想像している。Tom. v. note xxx. p. 284. もし実際の損失が、ここに述べてあるところ以上に出でぬとするならば、出生のわずかの増加がこれを容易に恢復したことであろう。しかし私は、これらの推算は、サア・フランシス・ディヴェルヌワの推算が過大であると同程度に、過小である、と考えたいのである。
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 革命の初期において(訳註)離婚を大いに便ならしめた法律は、道徳的見地からも政治的見地からも極めて悪法であったが、しかし、それは男子が非常に不足しているという情勢の下において、それはいささか一夫多妻の慣習のような作用をし、そして夫の数に比例して子供の数を増加させたであろう。これに加うるに、夫のない婦人が全部子供を産まないとは思われない。私生児の出生総数に対する比率は、革命前の四七分の一から現在一一分の一に増大している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれは道徳的堕落の憂鬱な証拠ではあるけれども、たしかに出生数の増加には寄与したであろう。そしてフランスの農婦は。革命期間中は、人手が足りないので、通常以上の所有をあげることが出来たから、おそらくこれらの子供達の多くは生き永らえたことであろう。
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 1)[#「1)」は縦中横] Essai de Peuchet, p. 28.
〔訳註〕『革命初期において』なる語は第五版より現わる。その他用語上の若干の修正がある。なおここでパラグラフが改められたのは第六版からである。
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 これら一切の事情の下において、フランスの農業が生活資料を無事に保証し続ける限り、その人口が、革命の進行中働いた一切の破壊原因にもかかわらず、依然減少しなかったということは、不可能ではあり得ぬのであり、またありそうもないことですらないことが、わかるのである。そして、いかにはなはだしくフランスの工業が損害を蒙ったにしても、その農業は衰滅よりはむしろ増進したことは、今では一般に認められているように思われる。戦争中のいかなる時期においても、召集された軍隊の数が、革命前に工業に従事していた人間の数を超過した、と考えることは出来ない。これらの工業の破壊によって失職し、しかも軍隊に加わらなかった者は、もちろん農業に参加したことであろう。そしてフランスで
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