とのあるもので極めて異常な結果を示すものもほとんどないから、革命に伴った事情で大いに世を驚かした事情がなかったならば、私は何も特にこの国を特別の一章を設けて論じはしなかったであろう。その事情とは、かくも長期の破壊的の争乱の間死亡者が多かったにもかかわらず、人口が減少しなかったということである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 本章は一八〇二年に書かれ、アミアンの平和以前のフランスの状態について述べているものである。(訳註――この註は第六版のみに現わる。)
〔訳註1〕『教区記録簿』は第二版では『死亡表』とある。
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各県知事の報告にもとづいた大きな国家的著作が、現在パリである程度進んでおり、これが完成した暁には、統計学一般の資料に極めて貴重な寄与をなすものと期待して差支えないであろう。しかしながら全県知事の報告はなお完成していないが、その監督主任をしている人から、私は、フランスの旧領土の人口は革命中減少するよりはむしろ増加したことは、確実だということだけは、既にわかっている、と確言された。
かかることは、もし本当であるとすれば、極めて有力の本書の一般原理を確証するものである。そして差当りこれを事実と見るならば、かかる事柄とどのようにして起り得たかをやや詳細に辿ることは、この問題に若干の光明を投ずることとなろう。
あらゆる国には、常に、年々青春期に達する人間の中《うち》、年々結婚する者の数以上に出ずる超過が、徐々として蓄積されて、出来上る、未婚者のかなりの一団がある。この一団がそれ以上の蓄積を停止するのは、この一団の数が、年死亡がその増加と等しくなるほどに、なったときのことである。ヴォー州では、前章に明かな如くに、事実上結婚していない寡婦鰥夫を含んでこの一団は、既婚者の総数と等しい。しかし、死亡率も結婚への傾向もスイスより遥かに大なるフランスの如き国では、この一団は総人口に対してそれほど大きな比率をなしていない。
プウシェ氏がパリで一八〇〇年に著わした『一般統計論』〔Essai d'une Statistique Ge'ne'rale〕 の中のある計算によれば、フランスにおける一八歳ないし五〇歳の未婚男子数は一、四五一、〇六三であり、同じ年齢の未婚既婚を問わず男子の総数は五、〇〇〇、
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