実から実証しようとする部分であって、いわば歴史篇とも呼ばるべきものである。この歴史篇はしばしば第二版以後からはじめて現れたものの如く説かれているが、なるほどそれは第二版以後著しく増補されはしたけれども、決して第二版をまってはじめて現れたものでは決してなく、既に第一版にも明かに現れているところである。この歴史篇は、少くとも第一篇の関する限りでは、第二版以後は極めて僅少の附加が加えられているだけであるから、比較は主として第一版と第二版以後との差異に関して行われるべきである。そこで便宜上、第一篇の範囲に属する第一版の総括的記述のうち、人類の最低段階に関する記述をここに掲げることとし、第二段階に関しては第一版の記述は第二版以後では第六章に再現するから、これはそこにゆずり、その他個々の文に関しての比較は、各々関係の場所に訳註を附することとする。第一版における右に該当するものは次に如くである、――
 第三章――『狩猟が主たる職業であり唯一の食物獲得法となっている人類の最も蒙昧な状態にあっては、生活資料は広大な地域に散在しているので、人口は必然的に比較的稀薄でなければならない。……
『しからば吾々は、以上の概観から、またはむしろ狩猟民族に関して参照し得る記述からして、次の如く推論し得ないであろうか、すなわち彼らの人口は食物が不足なために稀薄であり、もし食物がもっと豊富にあるならば、それは直ちに増加すべく、また蒙昧人では、罪悪を別とすれば、窮乏が、優勢なる人口増加力を圧縮しその結果を生活資料と等しくしておく妨げである、と。少数の地方的な一時的の例外を別とすれば、この妨げが現在不断にあらゆる蒙昧民族に対し働いていることは、実際の観察と経験とが吾々に物語るところであり、そして理論は、これは一千年の昔にも現在とほとんど同じ力で働きまた一千年後もほぼ同じほどであろうということを、指示しているのである。』
 ただし第一版では狩猟状態に関する事実はアメリカ・インディアンのものが大部分を占めるのであり、右の引用も大体インディアンに関する総括をなすものである。
[#ここで字下げ終わり]
 ティエラ・デル・フエゴの惨めな住民は、あまねく旅行家により、人類の最低水準にあるものとされている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。しかしながら、彼らの家庭的習慣や行状を記したものはほと
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