xに、資本の蓄積や人口に、そして農業において用いられる熟練や創意や器具に、依存するのである。
この分配を左右する諸法則を決定することが、経済学における主要問題である。この科学は、テュルゴオ、スチュワアト、スミス、セイ、シスモンディ、及び他の人々の著作によって、大いに進歩してはきているけれども、それらは、地代、利潤、及び労賃の自然的径路に関する満足なる叙述は、ほとんど与えていないのである。
一八一五年に、マルサス氏は、その『地代の性質及び増進に関する研究』において、またオクスフォド・ユニヴァシティ・カレヂ一校友は、その『土地への資本投下に関する試論』において、ほとんど同時に、地代に関する真実の学説を世に提供したが、この知識なくしては、富の増進が利潤及び労賃に及ぼす結果を理解し、または租税が社会の種々なる階級に及ぼす影響を十分に追究することは、不可能である。それは、課税された貨物が、地表から直接に得られた生産物である場合には、特にそうである。アダム・スミス、その他前述の有能な学者は、地代に関する諸原理を正しく観察しなかったため、思うに、地代の問題が徹底的に理解された後においてのみ発見され得る所の、多くの重要な真理を、看過してしまったようである。
この欠陥を補うには、本著者の有するよりも遥かに優れた諸能力が必要である。しかしながら、この問題に対しその全力を費した後に、――上記の優れた諸学者の著作から援助を得て後に、――そして、豊富な事実を有つ最近の数年が現代人に与えた価値多き経験を得て後に、利潤及び労賃の諸法則、並びに租税の作用に関する、著者の意見を述べることは、思うに彼において僣越であるとは考えられないであろう。もし著者が正しいと考える諸原理が、事実正しいものであることが見出されるならば、それを追究してあらゆるその重要な帰結を明かならしめることは、著者自身よりもより[#「より」に傍点]有能な他の人々のなすべきことであろう。
著者は、一般に受容されている所見を反駁するに当って、著者がその理由あって所見を異にする所のアダム・スミスの著書中の章句により[#「より」に傍点]詳細に論及するの必要なることを、見出した。しかし著者は、その故をもって、経済学なる科学の重要なるを認めるすべての人と共通に、この有名な学者の深遠な著作が正当に喚起する賞讃に参与するものではない、と疑わ
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