ているに過ぎないということが、注意されなければならぬ。けだし商人達が自国民との取引によって得る利潤は、植民地との排他的商業において得られるそれと同様に、国家にとっての利益では全くないからである。同一国の個人間の取引においては生産された効用の価値以外には何らの利得もない。』(註)第一巻、四〇一頁。私はここになされている内国商業の利潤と外国貿易の利潤との区別を了解し得ない。すべての商業の目的は生産物を増加することである。もし一樽の葡萄酒を購買するために、私は一〇〇日の労働の生産物の価値をもって買われる地金を輸出し得るが、しかし政府が、地金の輸出を禁止することによって、私に、一〇五日の労働の生産物の価値をもって買われる貨物をもって購買するを余儀なからしめるならば、五日の労働の生産物が私の、また私を通じて国家の、損失となるのである。しかしもしかかる取引が個人の間に同一国の異る地方において行われるならば、もし彼がそれをもって購買をなすべき貨物の選択につき全然束縛されないならば、個人、また個人を通じて国家の、両者に同一の利益が生じ、そしてもし政府により彼が最も不利益な貨物をもって購買をなすの余儀なきに至らされるならば、同一の不利益が生ずるであろう。もし製造業者が同一の資本をもって、石炭が稀少な処よりも石炭が豊富な処において、より[#「より」に傍点]多くの鉄を製し得るならば、国はその差額だけ利得するであろう。しかしもし石炭がどこにも豊富になく、そして彼が鉄を輸入し、そしてこの附加量を同一の資本及び労働をもってする貨物の製造によって取得し得るとすれば、同様に彼は鉄の附加量だけ自国を利するであろう。本書の第六章において私は、外国貿易であろうと内国商業であろうとすべての商業が有利であるのは、生産物の分量を増加せしめるからであり、生産物の価値を増加せしめるからではないということを、示さんと努めた。吾々が最も有利な内国商業及び外国貿易を営んでいようと、または禁止法によって束縛される結果として最も不利な商業をもって満足せざるを得なかろうと、吾々はより[#「より」に傍点]大なる価値を有たないであろう。利潤率と生産される価値とは同一であろう。その利益は常に、セイ氏が内国商業に限るものの如く思われる所のものと等しい。双方の場合において、生産された効用の価値ということ以外には何らの利得もないのである
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