消費物たり得ない多量の必要品が生産されるであろう。数において極めて限定されている貨物についてすら疑いもなく普遍的供給過剰が起り得、従ってかかる貨物の追加量に対する需要も有り得ず、またより[#「より」に傍点]以上の資本の使用に対する利潤も有り得ないであろう。もし人々が消費することを止めるとすれば、彼らは生産することを止めるであろう。このことの承認は一般的原理を疑うゆえんではない。例えば英国の如き国においては、国の全資本及び労働を必要品のみの生産に向けようとする志向が起り得ると想像することは困難である。
(一〇一)商人がその資本を外国貿易や運送業に用いるのは、常に選択の結果であって、止むを得ずなすのではない。すなわち、それは彼らの利潤が、内国商業よりもこの事業の方が幾分多いからである。
アダム・スミスは正当にも曰く、『食物に対する欲望は、あらゆる人間において、人類の胃の狭い受容力によって限定されているが、しかし建物や衣服や馬車や家具の如き便利品及び装飾品に対する欲望は、限度または一定の境界を有たないように思われる。』かくて自然はいかなる時にも農業に有利に用いられ得る資本額を必然的に限定したが、しかしそれは生活の『便利品及び装飾品』を獲得する上に用いられ得る資本額には、何らの制限も置かなかったのである。これらの満足を最も豊富に得ることが当面の目的であり、そして人々が、必要とする貨物やその代用品を国内において製造せずして外国貿易や運送業に従事するのは、それがこの目的をより[#「より」に傍点]よく成就するからである。しかしながら、もし特殊な事情によって、資本を外国貿易や運送業に用いることを阻まれるならば、吾々は、その利益は減少しても、その資本を国内で用いるであろう。そして『建物や衣服や馬車や家具の如き便利品、装飾品』に対する欲望に何らの限度もない間は、それを生産すべき労働者を維持すべき吾々の力を束縛するものを除けば、その獲得に用いらるべき資本には何らの限界も有り得ないのである。
しかしながら、アダム・スミスは、運送業を論じて選択的のものではなく止むを得ないものであるとし、あたかもそれに用いられている資本は、それに用いられない場合には、無能力になるかの如くに、あたかも内国商業における資本は、量を限定されない場合には、流出し得るかの如くに、論じている。彼は曰く、『ある国の資本
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