の価格は、絶えずそれに課せられた租税に比例して騰貴し来った。しかしそれらの租税並びに麦酒《ビール》及び強麦酒《エイル》に対する種々なる租税は、絶えずそれらの貨物の価格を騰貴せしめるか、または、同一のことに帰するが、消費者に対しそれらの貨物の品質を低下せしめるか、のいずれかであった。それらの租税の終局的支払は、消費者の絶えず負担する所となり、そして生産者の負担する所とはならなかった。』この章句についてビウキャナン氏は次の如く言う、『麦芽に対する租税は決して大麦の価格を低め得ないであろう。けだし大麦を麦芽にすることにより、それを麦芽にしないで売ることによって得られると同一の額が得られない限り、必要とされる分量は市場に齎されないであろうからである。従って麦芽の価格がそれに課せられた租税に比例して騰貴しなければならぬことは明かである。けだししからざれば需要は供給され得ないからである。しかしながら、大麦の価格は砂糖のそれとちょうど同程度で独占価格である。それら両者は地代を生み出し、そして両者の市場価格は等しくその原費とのすべての関係を失っているのである。』(編者註)
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(註)私は『利潤』なる言葉が省かれていたことを望む。スミス博士は、これらの貴重なる葡萄園の借地人の利潤が、一般利潤率以上であると想像しているに相違ない。もしその利潤がそうでなかったならば、彼らはそれを地主か消費者かに転嫁し得ざる限り、租税を支払おうとはしないであろう。
(編者註)『諸国民の富』ビウキャナン版、第三巻、三六八頁註。
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しからば麦芽に対する租税は麦芽の価格を騰貴せしめるであろうが、しかし麦芽がそれから造られる大麦に対する租税は大麦の価格を騰貴せしめないであろうし、従ってもし麦芽が課税されるならば、その租税は消費者によって支払われるであろうが、もし大麦が課税されるならば、地主の受取る地代は減少するであろうから地主がそれを支払うであろう、というのがビウキャナン氏の意見であるように思われる。かくてビウキャナン氏によれば、大麦は独占価格すなわち買手が喜んでそれに対し与えようとする最高の価格、にあるが、しかし大麦で造られた麦芽は独占価格になく、従ってそれは、それに対して課せらるべき租税に比例して引上げられ得るのである。麦芽に対する租税の結果に関
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