烽フはない。すなわちそれは全然生産者によってなされる前払を考慮せず、それは総収入に比例せしめられ、純収入には比例せしめられない。二人の農業者が異る種類の粗生生産物を耕作する。一人は中等の土地で穀物を耕作し、その支出は年々平均して八、〇〇〇フランに当る。彼れの土地から得られる粗生生産物は一二、〇〇〇フランで売れる。しかる時は彼は四、〇〇〇フランの純収入を得る。
『彼の隣人は牧場または森林地を有し、それは毎年同額の一二、〇〇〇フランを齎すが、しかし彼れの支出は単に二、〇〇〇フランに当るに過ぎない。従って彼は平均して一〇、〇〇〇フランの純収入を得る。
『一法律が、すべての土壌の果実の生産物の十二分の一を、それが何であろうとに論なく、実物で徴収すべきことを命ずるとする。第一の者からはこの法律の結果として一、〇〇〇フランの価値の穀物が徴収され、また第二の者からは同じく一、〇〇〇フランの価値を有つ枯草や家畜や木材が徴収される。そこで何事が起ったか? 一方からは、彼れの純所得、四、〇〇〇フランの、四分の一が徴収され、その所得が一〇、〇〇〇になる他方からは、わずかに十分の一が徴収されたに過ぎない。所得とは資本を正確にその以前の状態に囘復した後に残る純利潤である。一商人は、彼が一年の間になすすべての販売に等しい所得を得るか? 確かにそうではない。彼れの所得は単に、彼れの販売が彼れの前払を超過する額に当るに過ぎず、そして所得税を負担すべきものはこの超過額のみである。』(編者註)
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(編者註)前掲書、三四四頁、三五〇頁。
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上記の章句におけるセイ氏の誤謬は、これらの二つの農場の一方の生産物の価値が、資本を囘収した後に、他方の生産物の価値よりもより[#「より」に傍点]大であるから、その故に、耕作者の純所得はこの額だけ異るであろう、と想像していることにある。森林地の地主と借地人との純所得の合計は、穀物地の地主と借地人との純所得よりも遥かにより[#「より」に傍点]大であるかもしれない。しかしそれは地代の相違の故であって、利潤率の相違の故ではない。セイ氏は、これらの耕作者が支払わなければならぬ地代の量の異ることに関する考察を、全然省略したのである。同一の職業には二つの利潤率はあり得ず、従って、生産物の価値が資本に対し異る比例にある時には、異るべきも
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